ヒーリングを、語らせて
人であれ犬であれ猫であれ。
病院に行くかどうか、迷うものだ。
喜んで病院にかかろう!というケースはあんまりなく、私自身も、そして私の親しい者達にも、いつも、この迷いにぶち当たる。
医療がどんなものか、まったくわからないわけじゃない。
むしろ、ある程度わかっている方だと思う。だからこそ。
老犬マロンは、何度か倒れ、復活してから、驚くほど元気にこれまで生きてくれている。
今日も、私の仕事場でゴロンと横になり、すやすやすやすやと寝息。起きたら相当なよろけっぷりだ。息は、このところずっと、ちょっと荒い。
もし病院に行って検査をしたら、きっと何かしら立派な病名がつくかな・・。
痛みや急性期のコントロールに、いわゆる「病院」や「お医者さんにかかる」のはいい。いいどころか、必要なものは、使えるものは、使った方がいい。
でもとくにペットたちは、知らない人、知らない場所にいくってだけでも、大きなストレスとなるもの(たまに、病院が好きな子がいるけれど・・)。
いま、私はたびたびマロンの体に手を当てる。
自分が、ただ悩むだけだった昔のようではなく、こうして穏やかで平和な選択肢を得て実践できることを、誇らしく、ありがたく思う。
ゆったり、好きなソファーで私に身を委ね、甘えてくるマロンのそばで、心から、そう思える。
そしてそれは、マロンだけでない。
重度障害の医療ケア児の息子についても、全く同じだ。好きなテレビを見ている彼の横で、ゆっくりと彼の体をエネルギー的にケアしていく。発作が起きても、私にはもう、前向きにやれることがある。
けっして、その瞬間で劇的な「何か」をもたらすことは少ないけれど、長い目でみればはっきりとしてくる。
そして何よりも、手を当てているその時間その空間は、なんともいえず穏やかで、平和で、平安、そのものなのだ。