もあみみ便り

障がいがあってもなくっても、子どもは子ども。あふれんばかりの「愛」を、子らに、犬に、自分に、この世の生き物すべてに、届けたいな。

4月29日、空いていますか?

この度、全国一斉開催のヒーリングイベントに参加させていただくことになりました。

例年ですと、すぐに予約が埋まってしまうイベントだったとか。

 

 

HAS(Healing Art Selection/通称ハス)千葉、稲毛記念館で1日開催のイベントです。

 

 

私は今、これを結構、緊急告知の気持ちで書いています。

もっと早くに(企画がきまっていた時点で)すぐ、お出しすればよかったなあと。

 

 

 

予約がすぐ埋まってしまいそうだから、とか、そういう焦りではなく、
必要だった人に、もっと情報を届けられたのではないか、との思いからです。

 

 

 

私と、とっても細い糸で繋がっているような方も、もちろん太い糸で繋がっている方も、

どうぞ、その糸のはしくれをお持ちならば、そしてもし、

今あなたのいる所に豆電球ほどの光でも欲しいと思っているのなら、

 

 

どうぞ、その糸をたどってきて、いただけませんか?

 

 

懐中電灯になるか、灯台ほどになれるか分かりませんが、

きっと、光をおわたしします。

あなた自身の光、きっと、ひっ張り出します。

 

 

クリスタルボウルを使った素適なサウンドヒーリングも、当日は午前と午後に一回ずつ、奏者のライブを無料で聞くことができます。

この音色、この振動、この不思議な体感。これも、ぜひとも短時間でも体感していただきたいものです。

(これこそ、最高のポジション席は10席ずつの予約制なので、すぐ埋まるかもです)

 

 

私たちの社会には、まだまだ、埋もれている「いいもの」があるってことを。

 

そして、もう自分のまわり全てが「かべ」だと思っていても、ぜひ、知って欲しいです。

抜け道は、かならずあるってことを。

 

 

クリスタルボウルについて、奏者の方のブログをはりますので、ご興味があれば見てみてください。

そして千葉はたくさんのヒーラーがいて、全員がヒーラー紹介を書いています。

私も書かせていただいてますので、よろしければ、みてみてくださいね。

 

 

ameblo.jp

くつ下ではたかれる子犬

私には二人の息子がいる。

 

いつか、

 

「おにいちゃんは、ほんとうはぼくと
とっくみあいが したいのだろう」

 

と、弟が言ったことがある。

 

今朝、その「お兄ちゃん」の方が、

手にぶらぶらさせた靴下で、通りすがりに子犬の鼻面をペシッとはたいた。

 

「ゥキャン!」

 

と鳴きつつ、すぐにシッポを振ってついていく子犬。

先の部屋で、ふくみ笑うような声が聞こえる。

 

唐突に、冒頭に書いた、弟の言葉を思い出した。

 

 

 

重い障がいがある弟、とっても普通には遊べない弟、

言葉をスムーズにかわすこともできない弟、

いつも、母をひとり占めにする、弟。

 

今、ぴったりと家にいて、何を感じているのか、兄。

近頃、言葉でよく、弟をいじるようになった。

 

 

私は、私たちは、この社会は、

一見ふつうに元気に暮らす、こうした立場の子に、

やさしかっただろうか。

 

 

なんかまじめに、なんか胸が切なくなる、

休日の朝。

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犬と人、励む

ただ今、ある取り組みのために時間のある時トレーニング。

人も、犬も、根気よく練習が必要なのです。

 

youtu.be

それにしても、こんなに覚えの良いワンコは、なかなかおりません(親バカ・・笑)!

桜さく時期、お別れの時期

今年もまた、卒業していく特別支援学校の先輩たち。

なおぽんの学校は小中高とあるから、高校3年と言えば、相当の大先輩となる。

 

昨年もそうやって、すっと会えなくなってしまった先輩たちと、お母さん達がいる。

 

夏頃だっただろうか。ばったりとリハビリか病院かでお会いした時、懐かしさと優しさとがふわっとこみ上げ、あらためて学校で会わなくなっていたことを実感したものだ。

 

そして同時に、

 

私は、この先輩ママ達とのほんのわずかな声交わしで、自分でも気づかないほどにこれまで支えられ、癒され、導かれてきていたのかもしれない、今の私が通っている道もすべてを理解してくれているかのような、優しい声かけが、人柄が、ただただ、無性に感謝しなくっちゃいけない、ものだったんだ・・。

 

そんな気持ちが沸きあがってきた。

 

いつだって、大切なことは、後から気がつく。

 

だから今年送る先輩には、そしてやっぱり、もしかしたら学校からいなくなってしまう先生たちには、ほんのちょっとの声かけやメッセージでは足りないけれど、そこに、いっぱいの感謝の気持ちを込めて、あいさつしたいなぁ、、と思う、今日この頃。

youtu.be

魔法をかけよう

🌸🌿🌸🌿

私のあらんかぎりの力で
君に
魔法をかけよう

 

君が
きみのままでいられるように

 

君のまなざしが
いつもすきとおっているように

 

君がまとうものに
かげりがでぬように

 


「汚れっちまった」このからだも

にごりの混じる このひとみも

そのためにあるのだったら

 

まったく わるくない

🌿🌸🌿🌸

勇気のある人への道

変わりたくない、という人がいる。

世に、「保守的」という言葉もある。

でも、そういう言葉で自分を表現するのは、ちょっとひとまず置いといた方がいいんじゃないかな、と思う今日この頃。

 

 

これは、私が今日、ふと思いついたことだけれど、

あの人は勇気があるね、とか気楽にいうけれど、「勇気」というのは、決してうまれながらに持っている性質だと、思っちゃダメなんじゃないか。

 

勇気って、産まれてから今日に至るまで、その人がやってきた選択の積み重ねなんじゃないか。

 

 

小さな時からずっとくり返し目の前に差し出される、さまざまな選択(これを食べるか食べないか、あの子に声をかけるかかけないか・・・、とかとか)。

 

 

そう、するか、しないか。

 

 

この2択で、「する」を選ぶ。

 

初めての飲み物を飲む、さわった事のない生き物に触れる、人から誘われた所に行ってみる・・、云々(悪いものに手を出す、みたいなシチュエーションはここでは除外。そういう時は、「選択しない」ことの方が大切だったりするだろう)。

 

 

ささいな選択もあるし、みるからに勇気がいる、ってものもある。

けど、なにはともあれ、それを「する」「やってみる」の選択をした時、結果がどうであっても、勇気のタネを、心に育てているんだと思う。

 

 

私は、たぶんずいぶんと、自他共に認める小心者に、産まれてきた。でも、大人になり、子ども達とかいろんな存在や出来事を通じて「えらぶの?えらばないの?」「するの?しないの?」という2択にたくさん恵まれ始め、幸いにも、ちょっとずつ、「する」の方を選択してきたようだ。
だから、今は、昔ほどには小心者ではないと、自負している。

 

そうなると、冒頭でいったような、「かわりたくない」をうたう人は、つまり、自分は「しない」「やらない」人だと、勇気のタネを育てないコトを公言しているような、そんな気がしちゃうのだ。

 

 

 

いつからだって、勇気ある勇者への道を、歩み始められるって、私は思う。