現世社会適応障害
そんな言葉、ないだろうか。
みえないものに目や感覚をこらし始めると、見えているものに、意識が薄くなり始めることがあるような気がする。
私の場合、明日や明後日を予測する天気予報が、経済ニュースが、様々な過去のデータが、自分を素通りし始めた。まったく、どうでもよくなってしまったのだ。
一番こまるのは、スケジュール関係だ。
リアルに、明日の予定くらいまでは何とかかんとか、おぼえているが、二日三日先、ましてや週単位になると、もうだめだ。
でも予定を覚えてないくらいなら、まだ、手帳をみればなんとかなる。やっかいなのは、スケジューリングの作業だ。
どこにどの予定をいれたらいいのか、また、この予定を入れるために他の予定がどうなっているのか・・などといった、複数の伏線を考えなくてはならないような状況、つまり、自分や家族が抱える様々なジャンルのタスクたちが、私を追いつめる。
それらを、いかに「計画的」で「要領良き、スムーズな組みあわせ」で配置すればいいのか、、なんかが、本当にできなくなったのだ(まったくできなくはないんだろうけど、やる気が、起きない)。
昔はもう少し、できていたと、思う。
これは「今を生きる」ことをしっかり心に決めてから、明らかに強くなった傾向だと思う。今を生きる、の、副作用。
だって、ほんとに、「今」なんだもの。
結局未来なんて、予想通りには大概いかないもの。あーだこーだと、時間軸をコントロールしたって、仕方ないもの。
それよりも大切なのは、今の閃きと、直感だもの(笑)!
とは言うものの、地球は24時間365日まわり続けて、時は刻まれ続けているのだ。子どもは受診しなくてはならないし、私も様々なやりくり必須で、仕事をせねばならない。
ここはなんとか、足をぐっと地につけて、踏ん張っていかねばならないところ。
あぁ、どんなことでも、バランスをとるって、なんてムズカシイの...。