もあみみ便り

獣医師ヒーラー れお奈のブログです。障がいも不登校も、ど〜〜んとこい!

カタツムリ

早朝、足元をよこぎるカタツムリ。
一生懸命に向かっている先は、でも、コンクリートだらけの駐車場だ。

 

つまみあげて、となりの草ボウボウの空き地へ、ほうり込む。

 

 

午後、通りかかった同じ空き地に、なんと!草刈機が入っている。
ちらりと、”まさか今日、草刈りが入ったりして・・・”って。
朝のあの時、頭をよぎったのだった。

 

なぜ、あの時、私は自分の心に、もっと耳を澄まさなかったのだろう。

 

 

 

どうか、あの子が、無事でありますように。

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なんの意味もないブログです

朝の夢。

中くらいの木の切り株がありました。

そこをのぞいてみると、大きな卵が一つ。

 

お。卵があるよ。

と、私は息子に言いました。

 

ふだんは怖がりさんの息子が、その卵を、エイっと、外に持ち出すと。。

 

同時にそれは、孵化する真っ最中。

 

大きな、濡れた鳥の赤ちゃんが、今にも出てきそう。
へっぴりごしながら、はい、と、殻ごと私にさし出す息子。

 

それならばと、ちょっとビクビクしながら、中の鳥の赤ちゃんをひっ張り出す、私。

 

大きな、大きな、真っ黒のダチョウの赤ちゃんが、出てきました。黒い目が、つやつやと見つめています。

 

かわいい、かわい〜〜、この子!と、なでまくる私。いつしか、フワッフワでもふもふのダチョウに。それは、今思えば、まるでマロンの頭のよう。

 

 

そこで、幸せな気分で目が覚めました。

それが、今朝の、夢でした。



そして、こんなになんの意味もない文章を、いまだかつて、ブログにあげたことがあったでしょうか。

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(久しぶりにウクレレをもち、E7をド忘れしている自分に・・衝撃(泣))

リスタート(3)

今朝は、すっかり夏の空気です。

リスタート(2)の、つづき。

 

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それは、私もなおぽんも初めての、「ヒーリング」との出会いでした。

発作に悩まされていると(たぶん)知らずに、私の友人は知り合いの方のヒーリングの無料モニターに、なおぽんを誘ってくれたのです。

 

 

なんてタイムリー。

 

すがるワラを見つけたよう・・というか、これはもう、行くしかあるまい、まさしく「求めよ、さらば与えられん」だと、私が感じたのもごく自然な流れでした。そして、その直感は、なかなかどうして、まちがってはいなかったのです。

 

 

 

その場には、まるで拍子抜けするほど、ごくフツーの(そう、本当にお若そうなお母さんたちから、まるでママ友のように気さくな)女性たちが、おられました。にこやかに出迎えられ、なおぽんも私も、妙に、心地よい。決してどなたも、仰々しいヒーラーさんっぽくない(頭に羽根とか、ない。私、どんなイメージを持っていたのでしょう(笑))。

 

 

だのに、トータルにしてもほんの数時間くらいでしたが、そこで過ごさせていただいたなおぽんに、驚くような効果をもたらしました。

 

 

まず発作が、ほとんど、おきません。


静かで穏やかな時間だったから?・・・いいえ、実はまったく発作がなかったわけでもなく、何度か起きたのですが、いつもよりずっと早く、静かにおさまっていきました(一度などは、たしかに、手がそっと、彼の胸におかれるとともに発作が鎮まっていくのを、私は見ましたし、これに似たようなことは、のちに、自分の手ですらも経験することとなります)。

 

 

生まれてはじめてきく(体感する?)、音が、ありました。

 

きいているのは、物理的な「耳」のはずなのですが、なんというのか、まったく、ここにも言語化がとってもムズカシイ、感じ方をしている、自分の体がありました。

 

 

耳元でこれらの音を静かに響かせていただいた時、なおぽんの目から、涙がツーーーーッと流れおちるのを、みました。それを見て、私のカラダのどこかが、また震えたように思いました。

 

 

 

ぜんぶ、本当のことなのです。

 

 

 

ちょうど、やはり目に見えない小さなコロナウイルスが広がっていく、数ヶ月(1、2ヶ月?)くらい前のことになります(ヒーリングとは、究極のこといっちゃえば、ウイルスなども邪魔できないほどポジティブな「愛」のかたまりのようです。おかげさまで、“うん、コロナ、そんなものがあるらしいな” 状態で、日々を過ごせました)。

 

 

あんなに悩んでいた、なおぽんの発作をとめられるかもしれないこと、そしてそれ以上に、私自身がこの分野に深い興味と引力を感じて、私は、ヒーリングという新しい領域へ、一歩をふみ出すことに、なったのです。

 

 

なったものの・・、白状すれば、まだ、これを書いている今も、こう考えています。

「べつに、ヒーラーさんに、なりたいわけじゃない」って。とにかく、発作さえおさえられればよい、ただ、なおぽんの発作をどげんかしたい、それだけなんだ、と(だからとくに誰に言うつもりもなかった私)。

 

 

だのになぜか、時(運ともいう?)の流れに身を任せているときに「あるある」な、不思議な流れ、不可抗力ともいうべきものが、ぐいぐい私をおしてゆきます。

 

 

学べば学ぶほど、数行前に書いたような私のはじめの目的から、ちょっとずつ、ちょっとずつ、何かもっと別の大きな場所へと、運ばれていくようです。

 

 

発作については、私のような初心者であっても、すこーし、軽くできる時がある・・かな?というところまで、きました(まだ、ムラはあるけれど)。でも、もしかすると、発作のコントロールというものは、ICTなどのアシスティブテクノロジーを、今後もただ一生懸命に、淡々と、試み続けることと、あまり、変わらないのかもしれない。

 

 

それとは関係なしに(!)、私が一歩ふみこんだ、世間的にはちょっと特殊に思われているこの世界は、私だけの経験にしてはいけないものなんじゃ、ないかしら・・・と、学べば学ぶほど、しれば知るほど、思われてくるのです(そして、また「今」という未曾有の時代があります)。

 

 

とくに、お薬での治療にばっかり重きがおかれるている、現代の病院です。ここにどっぷりとお世話にならざるを得ない、たくさんの障害児たち。そして、彼らとぴったり身を寄せて生きる、お母さんたち。・・・にこそ、どんどんお知らせなくっちゃ、いけないんじゃないの??と。「こんな方法も、あるよ」って(もちろん方法はこれだけじゃぁ、ないかもしれないですね。鍼灸や、漢方・・、そこには、人によっていろんな出会いがあるでしょう。でもこれは、私がたしかに経験していることだから)。

 

 

自分でも呆れるほどに、体験型の人生です。

 

 

だけど、それが面白いほどに、いつか、つながりあい、新たな出会いをたぐり寄せ、確実に前より良くなっていく、そんなオメデタイ人生のようでも、あります。

 

 

大好きなおばあちゃんが、いつも、真っ赤に沈みゆく太陽サマに、「きれいか〜〜〜」と言って、パンパン、と手を合わせるのを見て育ったことも。

恥ずかしげもなく「愛」を語ったり信じたり。そうなるにいたった、我が子らが運んできた、いくつかのフシギ体験も。

初めて会ったのに初めて会った気がしない人々との出会いも。

(ちょっと飛びますが、ナント外房の海でUFOを見たことも、あるのです(笑)・・ふふ、言っちゃったー)。

 

 

すべては ここに つながっていたんだ (Superfly 『Starting Over』の一節)

 

 

 

 

だからこうして、何かにおされるようにして、ブログに書いています。

フェイスブックにも、このリンクをのせるでしょう。

一部の方々には、いよいよ、「へんな世界」にしっかり足をつっこんでしまったヒトと、思われるのかな(ふぅ・・、重度障害児かかえて仕事したり、バンドやったり、家族に子どもをまかせてひとり旅に行ったり。もう十分すぎるほど、変人なのにね♫)。

 

 

でも、ま、それだって、いい。

私の人生ですもの、私がゴーサインを出せば、それでいいだけなのです。

 

 

むしろ、こんな体験でも、どこかで誰かのお役に立つのならば、願ったりかなったりというものです。そして私の手が、体が、感じているものが、一体なんなのか、もう少し、知ってみたいとも思っています。

ちょっとは知ったつもりでいた「みえない世界」が、どうやら、まだまだ、もっと、広大に果てしなく続いているようなので、その先を、もうちょっと、のぞいてみたいと思っています。

 

 

 

こんな、感じです。

 

ラストは長くなってしまいましたが、お付き合いいただき、有難うございました。

もしこうしたコトに、ピン、とご興味が湧いたり、あっと思うことがあれば、どうぞご遠慮なく、メッセージをくださいね(それもひとつの、ご縁かも♫)

(*ちなみに、このヒーリング、今も無料で体験できるものがあります。リンクを貼らせていただきますね → こちら『無料ヒーリング体験会』 )

 

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そして、むかしむかしは、現実主義の理系女子っぽく(いつも天然と言われてはおりましたが)生きてた私が、こんなところまでたどり着き、はてさて、この先ホントに「ヒーラーさん」的なものになっていくのか・・・それも、乞う、ご期待なのです。

 


(「リスタート」、おしまい)

 

リスタート(2)

リスタート(1)の、つづきです。

 真実の記録にしたくて、丁寧に書き進めています。

 

 

はたからみれば、きっとさりげない、ほんのひとときでしたが、私には、キョーレツに心の真ん中にとどまって離れない、たとえ時がたち感覚がうすらいでも、決して、手放したくない、そんな記憶となりました。

 

 

そして、スコーンと、時を飛ばします。

なおぽんも立派に小学生が板についた、ここ、1、2年へ。

 

重度障害児でも「できる」コミュニケーションを探す中で、次々と、すばらしい出会いに恵まれました。それは、まるでもう奇跡的で、なおぽんの可能性がぐんぐんと広がっただけでなく、なんとなく、私にとっても、自分の生きる道がみえてきたような、あつかましいけれど、そんな高揚した気分で、過ごしてきました。

 

中でも、アシスティブテクノロジーを使ったコミュニケーション(パソコンやタブレット、視線スイッチなどを用いる方法)には、夢が膨らむのです。そう、未来のなおぽんの脇には、スマートなテクノロジーがチャキッとあって、なおぽんが、ニヤリとする。そんなイメージを頭に描く、日々。

 

でも、だいたいがなおぽんは、かなりの重度障害の持ち主なのですから、時間はかかりそうなのです。それは、百も千も承知で、取り組んでいたのですが。

 

昨年あたりから、すこしずつ、途方に暮れちゃうことが、増えてきました。

 

一番の原因は、なおぽんの「発作」です。多い時は昼間でも25回くらい、発作が起きました。

 

 

長い時間をかけて目の位置を取り(ポジショニング)、パソコンゲームを始めさせても、“発作”。

 

先生の合図で太鼓を鳴らす、そんな胸おどるチャンスをいただいても、発作にジャマされるのではないか・・と、心配が先立ちます(発作になれば、彼の意思とは無関係に、規則的になり続ける、スイッチ音)。

 

そうそう、なおぽんの場合、気持ちの変化(うれしい!やった!など)でも、ときに発作が誘引されるようです。だから、下手すれば、「やるぞ!」という気合いで、発作につながることも、あるのです。

 

そして多くのケースで、発作後はエネルギーを奪い取られたかのようにぐったりと疲れてしまい、ゲームどころでは、なくなります。

 

残念ながら今の一般的な対処法は、ほぼお薬のみ。それも、眠らせてしまうものが多いでしょう。意識レベルを下げたり、体の筋力を弱めたり、たとえ眠らせないまでも、クタッと、またはぼんやりと、させてしまう作用のものばかりです(ごめんなさい、何か新薬が出ているかどうかは、わからないけれど)。

 

あんまりひどい時は、頼らざるを得ないのですが、これって、じつに、切ないことなのです。

 

だって、「うれしい!」→「発作」→「眠らせる」では、一体、いつ、彼は新しい技術を習得せよというのでしょう。彼のように、重度障がいを持ち、医療ケアを持ち、生きるエネルギーが、通常よりもちょっとはかない子どもには、より一層厳しい未来しか、ないのでしょうか?

 

もう、悩んでしまうったら、ありません。私もツライったら、ありません。発作そのものも、ツラくないなんて、どうして分かりましょう(いや、案外、そんなにキツくない発作もあるようなんですが・・)。。でも、ほら、真面目な私ですから。

 

ついには、天の神様でも天使サマでもなんでもいいから!と、わたしは心の中で怒ったりたずねたり、お願いしたり、しました。

 

「もう、十分じゃないですか?

 この子に、チャンスをくれたんじゃないんですか?

 なぜまた、足止めさせるのでしょう?

 発作を、どげんかする(なんとかする)別の方法を、くれませんか・・(眠らせちゃうだけのお薬にはなるべく頼りたくない)!」

 

昔は自分を責めていたのに、いつしか神様にたてつくほど厚かましくなった私です(ごめんなさいカミサマ)。

 

でもね、不思議なことってやっぱりあるのです。

 

 

そうこうしていたら、ポーーンと、「じゃ、これは、いかがかな?」とばかりに、新しい出会いがふってきたのですから。

 

いつも私に心強いご縁を運んでくる友人が、この度も、さりげなく、一本の糸を繋いでくれました。

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(つづく)

リスタート(1)

今日、千葉はおかしなお天気でした。

 

雲はちらほらあるけど、よく晴れている空、ちょうどお昼ドキのことです。

気持ちよく、鳥のさえずりなどききながら、久しぶりにお外ランチをしようとしていた、その時。

 

南の方からもやもやっとした灰色雲のカタマリが、ゆっくり近づいてきたかと思うと、急に、ピカピカ!ゴロゴロ!ときました。ざわざわ、っとゆれる草木。それから、あっ、という間に、ボタボタボタッと大雨がふってきたのです。わぁっ!と、あわててみんなで家にかけこみました。

 

「あ~~パンが!」 「ママのケータイ!」 

  「まずはなおぽんだ!」 「マロン!!(こっちへ~~)」

 

大声が飛びあう、ひととき。

ふ~~っ。

びっくりの速さで、雨って降ってくるのですね。そしてほんの1、2時間で、何事もなかったかのように、晴れています。

 

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さて、来週から、いよいよ我が家の子どもたちも学校へ通い始めるわけですが、この3ヶ月近いステイホーム期間、私はまた、新しい人生の経験をしていました。

今日は、とにもかくにも『再スタート』の流れを世の中にみつつ、私もちょっとした(個人的な)リスタートで、それを書くことにしたのです。

 

新しい人生経験、なんてまた大げさな・・、または、そんなん毎日さ、、、いろんな見方がおありでしょうが、実際、これは私という一人の人間にとっては、かなり大きな人生の節目となるものなのです。でも決して、真新しい、というわけでも、ないかも。

 

たとえば、私、かつてこんな経験をしていました。

 

ある日のこと。

 

私は庭で、洗濯物を干していました。ちょうど今くらいの初夏で、部屋の中には、マロンの半分くらいの体をいっぱいに反らせては必死に生きている、小さきなおぽんが、ついに(笑)寝ています。つかの間の、安息タイム。

ぼんやりと、ほし竿に何かをかけている、私。

その時、ふっと。

本当に、ふっと。

 

私は、「愛」に、包まれました。

 

あぁ、コトバってむずかしい。ここでいう「愛」は、恋愛によく使われるような、ちまたでよく聞き慣れたものとは、すこし、違うのです。

まるで、あえて言うなら、「慈愛」に近いような、ただ、ただ、私の胸といわず頭ってわけでもなく、全身が、何か大きな、大きなものに、フワーーーッと、包み込まれたようでした。

まわりの全てに、抱かれたような、気がしました。

 

 

私は、ななめ上の空をみ上げました。

形のない雲と、青い空を、みました。

空気が、ありました。

 

その全てが、とっても、とっても、いとおしく慈しむべき存在なのだと、そして、

 

「「バチ」なんて存在しないんだ、神様は、バチなんて与えないんだ」

 

という、(訳わからないでしょう?唐突で。でも、この頃の私は、私が何か過去に悪いことをしたから、バチが当たってなおぽんが障害を持ったのだ、とか、そんな考えに、すこし、とりつかれていたのです)

そんな思いが、ただ、私を、満たしました。

 

それは、とても、言葉にしてお伝えするのは難しい、本当に言語化のできない実感であり、体験でした。

 

 

風も、いとおしい。

チョウチョも、いとおしい。

下に転がる、石ですらも、いとおしい。

 

すべてが、私も、含めて、すべてが、いとおしいもの。

 

ふふ、ちなみに無宗教です、わたし。

 

でももし、神様という存在がいるならば、それは、ただただひたすらに優しく、大きく、あたたかく、私たちがとらえきれないほど大きな愛で見守っているんだ、

すべてを包むように、見守っているんだ。 ・・・そういうことなんだ。

 

 

そんなことを、体で実感した、2011年頃(たぶん)の、ある一日の、ことでした。

 

(つづく)

ハッピーへ捧ぐ

ハッピーへ

 

 

トマト、パプリカ、グレープ、マロン、そして、あなたが、アーティ。

あなたの兄弟は、みんなで5匹いたの。

 

あなたのお母さん、モアナが、ヒィーーンって鳴いては、1時間おきくらいに、あなたたたちが世の中に出てきました。

小さいけど大きい、黒いイモ虫のようなあなたたちに、私は、リボンをつけていきました。

 

赤は「トマト」。黄色、「パプリカ」。紫が「グレープ」。

 

トマトから始めたので、なんとなく、お野菜とか果物が、あなたたちのお名前になっていきました。

でも、緑色のリボンになって、困っちゃった。

だって、緑のお野菜って、ほうれん草、レタス、ピーマン、白菜・・。

どれも、お名前にするには、あんまり、ピンとこなかったんだもの。

 

そんな時ふと、「アーティチョーク」が浮かびました。

 

あの頃はまだ、アメリカで暮らしたちょっと後くらいだったから(あっちでは「アーティチョーク」ってお野菜がよく売られていたのね)。

オシャレかな、なんて思って、あなたをアーティチョーク、って名付けたんだよ。

 

 

 

はじめあなたは、私たちの家族になる予定でした。

だって私は、女の子が、ほしたかったの。大好きな、モアナ母さんのような、女の子を。

 

 

まず2匹の女の子のうち、トマトがすぐに、新しいご家族を決めて、それからグレープやパプリカも、次々と、家を出ていきました。

 

あなたは、覚えていないでしょうけれど、お母さんモアナと、もらい手がなかなか決まらないマロンと、そして人間の赤ちゃんと一緒に、

小さな千葉の借家でギュウギュウと、一緒にすごしたんだよ。しばらくの間。でもそう、今から思えば本当に、短い間だったけど。

 

 

兄弟犬マロンは、いつでも、新しい家族の元へ、行くつもりだったの。

何度か、素敵なおうちが決まりかけたんだけど、でも不思議なことに、決まった後に、キャンセルされてしまうのです。

相手の方に、どうしても、しかたのない理由ができて、なくなく、行く前にキャンセルされてしまう。

そんなことが、2回くらい、続いたかな。。

 

”これは、マロンが、うちの子になるってことかなぁ・・?でも3頭のスタンダードプードルは、ちょっと・・きついかなぁ。。”

そんなことを思ってた矢先、あなたは、すっと新しいご家族を見つけました。

それも、とびっきりの、あたたかい、ステキなご家族を。

 

 

あってすぐに、あなたはお姉ちゃんやお父さん、お母さんと意気投合して、

「わたしの家族!」

と、言わんばかり。

 

なんてあっさり・・・って、少し、さびしいくらいでしたよ。

すごく自然に、すごく決まりきったことのように、あなたは私たちの元を、去っていきました。

 

 

そしてあなたは、「ハッピー」っていう、とってもパワフルな、幸せの名前をもらったのね。

 

 

 

それからのことは、残念ながら私はあんまり知らないけれど。

でも、毎年お父さんが、あなたの写真や名前が入ったおハガキで、家族みんなで幸せそうな様子を、伝えてくれました。

 

それはとっても、とっても、とっても、うれしいお知らせでした。

 

見た目はマロンとよく似た、でもどこかモアナのような、あなた。

「ハッピー」として、ご家族にこの上なく愛されながら、生きている、あなた。

そしてここ数年は、病気と闘いながらも、でも、いつも、やさしいご家族と一緒に歩んでいる、あなたを。

応援していました。心から、応援していました。家族みんなで、あなたを支えているらしい様子が、よくわかりました。

 

そしてあなたが今、一つの新しい旅立ちをして、私は、目が涙でぼやけちゃうんだけど、昔の写真をみたり、しています。

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モコモコの小さな黒い子犬たち。

その中にごちゃごちゃと混じった幼い、私の最初の息子(人間)。

 

 

私があなたのほとんどの人生(犬生)を知らないように、あなたも、私たちがあれからどんなことを経験したか、知らないよね。

 

我が家にもう一人、人間の息子ができて、あなたの兄弟犬マロンは、3人兄弟になったの。

あなたと同じね。でもこちらの弟は、体に障害があって、マロンはなかなか一緒に散歩に行けないってところが、ちょっとあなたとちがうところ。

 

 

ガラッと私たち家族の生活を変えた、その子の誕生なのだけど、それより前の私が、どれだけ、たくさんの情熱をあなたたちやモアナに捧げていたか、思い出させてくれました。
私にとっての『夢』が、かなえられている日々でした。


3度の飯よりも動物、とりわけ犬、ってくらいの私が、どれだけ、あなたたちとの生活を楽しんでいたことでしょう。写真から、次々に、よみがえります。

 

 

何よりも私が心を奪われたのは、あなたたちと、まだ1歳ほどの私の息子が織りなす、ユニークでかけがえのない日々模様です。

ドッグフードやおやつを食べたり食べられたり、息子があなたたちにドーンとよっかかってはいつしかじゃれあってたり。

 

ヒトとイヌっていう、ちがう種類の生き物が、しかもその幼子たちが、なんて垣根のない、なんて自然な美しい関係を築くんだろう、って。もう、たまらないほど、みんなが愛おしくって、もう気が狂いそうなほど、目に、頭に、心に、その風景を焼き付けたくて、一生懸命、あなたたちを見つめ続けたものです。

 

今は、ごくごく自然に、別のことで、私の頭はいっぱいです。

でもあの頃の私は、あなたたち(種族)に関わるコトに、自分の人生のほとんど全てをかけるつもりだったな。

 

こうやって、懐かしいあのひと時代を、あなたの旅立ちとともに思い出させてもらったのです。

人間の息子と、犬の息子と、新たな人間の息子の誕生と。私の家族がたどってきた道を、丁寧にゆっくりと振り返る時間を、くれました。

 

 

本当に、ありがとう。

 

 

 

 

あなたに、心から、祈りを捧げます。

あなたを愛し、これからも愛し続ける優しいご家族に、心より、感謝を捧げます。

 

 

また、あいましょう。

できることから、ちょっとずつ


歩く黒いランドセル。

 

ほんの数ヶ月なのに、ちょっとなつかしい光景とすれ違い、

「あれ?学校?」

って思いました。

 

よく見ると、肩あてを一生懸命ずりあげながら、ランドセルを背負って歩く、小さな男の子がいました。男の子の横には、ちょっとだけ大きなお姉ちゃん、そのそばに、そっとお父さんとお母さんも。みんなで、ゆっくり歩いています。

 

 

きっと、あの小さな男の子は新1年生なんだろうな。登校日なのかな、それとも、学校に行く、練習をしているのかな。お天気いいから、家族みんなで。

 

 

昨日、今日と、千葉はとてもいいお天気でした。おとといの雷ゴロゴロ、稲妻ピッカピカが、うそみたいです。久しぶりの外出の帰り道、こんなほほえましい一コマを見て、幸せをもらいました。

 

 

子ども達の「学校」「教育」が、いま、大きな大きなとばっちりをうけています。早く、あの男の子が学校に通えるようになって、ともだち100人作れるかな~って、運動会や遠足や、その他いろんなことが、できるようになるといいなぁ・・、って思います。

 

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でも、その一方で、私の心でこんな声も聞こえる。

 

前と「おんなじ」に戻るのって、そんなにいいことかなぁ・・?

 


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ホントは一人一人、得意なことも苦手なこともあるけれど、おんなじスピードでおんなじコトが、できなきゃいけない。

 

ホントは、頭の良さや知識の量だけじゃ、人は生きていけないのに、その面ばかりが社会で「いいコト」にされてる。

 

ホントは、勉強したくってたまらないのに、障害が重いだけでそのチャンスももらえない。

 

ホントは、ホントは、ホントは。。。。

(もちろんこの「ホント」は、私っていう一人の人間の思うだけの「ホント」なんですけどね)

 

 

私たち大人は、自分たちが通ってきたのとおんなじ道を、あんまり守ろうとしちゃぁ、いけないんじゃないかな。

 

どんな分野にもきっと、これって、必要なの?とか、なんか違う、って、心が感じることが、たっくさんあったのに、私たちは大人になりながら、そんなもんだ、我慢我慢といってスルーしてきました。

 

 

でも、今ってもしかすると、地球規模で変化、変貌の風が吹き荒れていて、とんでもない『時』にいるのです。悲観したり「よくわかんないね〜」っていうだけじゃなく、これはもう、たくさんリアルな夢を見て、たくさん、ワックワクする未来を描いてみるべき、時なんじゃないかと思うのです。

 

そして、こっちの方がよりいいんじゃない?って感じることは、堂々と、勇気を出して、提案しちゃって、いいのかもしれません。この後の生活を、少しでもハッピーに近づけるために。

 

 

たとえば、毎年の新PTA決めに承認とか委任状とか、ほんといるのかなぁ(反対する人はいるのだろうか。笑)?みたいな。

そんな些細なことでも、私たちひとりひとりが、ちょっとずつ、できることを。気がついたことを。とってかわりうる、新しい、アイデアを。

 

 


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たまたま、同じような言葉をタイトルにした、豪華アーティストのコロナ対策サイトをみつけたので、(勝手に)リンクをはって、元気に今日のブログを、終わります(出来ることからちょっとずつ、この手の言葉でググると、いっぱい出てきました。なんかうれしい♫)。

 

special.southernallstars.jp