今日は小さな気づきをひとつ,記しておこうと思います。
結構言い古されているかもですが,私の場合,自分が体験した時に初めて,腑に落ちるところがあります。
このところしばらく,お台所の窓枠においたバジルの鉢の下に,黒い,点々がおちていたのです。
明らかに,「だれか」がここ(バジル)にすんでいる感じ。まだ点々は小さいし,「だれか」は,ぱっとは,見えません。
意を決して,今朝,そーっと捧げもつようかのように腕を伸ばして鉢をもち,バジルをお外へ運びました。
朝日の中で「だれか」をさがしてみれば・・・なんとも小さく,すべすべとキレイな幼虫を発見しました。2匹!仲良く元気に茎を這っていて,なぁんだ可愛い~って,思わず微笑んでしまったのでした。
本人(虫)たちが見えなかった時,私はあんなにも怖がり,不安いっぱいだったのです。で,いざ正体が見えれば,なぁーんだ,ってこの安堵。
・・こんなことを,私はずっとやってきたように思いました。
重心っこの息子との会話も。
ヒーリングも。
まだ今の一般的な技術ではカンタンに可視化「見える化」が,できないもの。
人って,見えないものに対して,もう本能的にか潜在的にか,とにかく,恐れや不安,疑念のスイッチが自動ではいってしまう,そんな生き物のようです。
思えば私も,先のふたつの例では,はじめるとき,たくさんの不安や疑念とともに,あったのでした。
そして,愛らしい幼虫の登場ほどには素早く明かされなかったけれど,だんだんと,我が身の中ではっきり可視化されたから,今では安心してそこにある真実を,自分を,息子を,みえざる究極的な自然療法を信じている,というわけなのです。
私たちは自分の中にこうした傾向があるってことを,ただ,気づくこと,知っておくことは良いことなんじゃないかな,と思います。
そう,「見えない」「わからない」っていうだけで根拠なく沸き起こる,ネガティブフィーリングがあるっていうこと。一見それらは,自分をリスクから遠ざけ守ってくれているかのようでいて,案外,他愛もなくただ未知なだけの真実に触れるチャンスを,逃させているのかもしれない。
結局のところ,台所のバジルにすんでいるのはバジリスクやおどろおどろしい化け物なわけはなく,根拠なき恐怖からくる拒絶をなんとか乗り越え,目を凝らしてみれば,美しい緑色の幼虫がいるだけなわけで。
思ってもいなかった喜びや冒険を,みつけるかもしれないんだよ・・って、今の私は思うのです。