いくつになっても、学びは終わらない。
最近、真にわかったこと。
言いたいことはまず伝わらない、と、そもそも思っておいたほうが良い、ということ。
聞き慣れてることかもしれないが、でもほんとに、毎回、デフォルトとしてそう思って人と会話をしている人は、決して多くないのでは?と思う。
そこを。デフォルトのように、自分の信念に組み込む。
伝わってほしい、と願って話すから、分かってくれよぅ、と強く求めるから、
相手の「言ってること、よくわかんない」に撃沈する。「いやいや、〇〇っしょ〜〜」に反論したくなる。
そもそも、英語だろうが母国語だろうが、コトバという媒体を使うしかない私たち人間同士、まともにコミュニケーションをとれる、わけがないんだ。
語彙力も文法力も発声法も口の開け方一つ、すべてが各々、違うものを持っていて。
これは、あきらめのように聞こえるかもしれないが、そういう投げやりなことを言ってるわけでは、ない。
ただシンプルに、そーじゃん、コトバで通じるなんて思わなければいーんじゃん、そもそも!という、パッと顔を明るくした、40代主婦の、遅き発見である。
コトバとは、そういうもん。
でも面白いのは、意味は通じないけどなんとなく、あなたの言いたいことは分かる、という表現がある。
語る内容に対する思い、真剣さ、悲しみ、誠実さ、真実かウソか・・・などなど。
その人の人柄に通じるこれらは、不思議だけども、伝わる。
だから究極、コトバでは通じると期待はせず、でも、真実の、心から自分が言いたいと思う事をコトバにのせるんだ、という思いを忘れない。
で、いいのだろう。
まぁ、外国語でいえば、単語を覚えたりして、よりわかってもらう努力なんかももちろん大切だろうが、こっちの結論に至ってしまうところが、いかにも、私が、私たる部分なのである。