もあみみ便り

障がいがあってもなくっても、子供は子供。あふれんばかりの「愛」を、子らに、犬に、自分に、この世の生き物すべてに、届けたいな。

どうしたって、とびうお

下の息子の行きつけの病院には、ロビーにとても綺麗なステンドグラスがあります。


初めてこの病院に足を踏み入れた日、高い天井、その脇の、丸いステンドグラスたちに、なんともいえない、静寂さと神妙さのようなものを感じたのを覚えています(休日だったのか、閑散としていたような)。

 

昨日は、こちらはうって変わって月の始まり。とてもにぎやかで混み混みのお会計まちの間でしたが、急に自分が照らされた気がして見あげれば、そこに、このステンドグラス。

 

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光は、やっぱり人を癒します。

 

 

でも何度見ても、この真ん中のグラスに描かれている生き物は、「とびうお」な気がして仕方ないのです・・。

東京のALS/MNDサポートセンターさくら会の総会に、行ってまいりました

ちょうど1週間近く前になりますが、東京のALS/MNDサポートセンターさくら会の総会に、行ってまいりました。

あつかましい表現をお許しいただくなら、まさに、ツワモノどもでおられる方々ばかりです。障がいを抱えて10年以上であったり、わずかなサインとそれを読み取られるヘルパーさん達との阿吽(あうん)のスピード感もハンパなく、なんといっても、お一人お一人の目力がすごい。複数の方々に囲まれたその存在感とか、静かな中に妙にきわだって感じる生命力、もう、様々な思いが自分の中に湧き上がり、自分の未熟さと共に、ただ、圧倒された午後でした。

 

やっぱり、なおぽんはまだ子どもでした。でも、間違いなく、この子だってほんの数年たてば、会場におられた偉人たちと、サイズ感は変わらなくなるのです。ですが、ほんの8、9年障がい児をやっている息子と私、なんかまだまだ、まだまだ、まだまだ・・・。コウベを垂れるしかないような、そんな気分で、ずっと過ごさせていただきました。

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理事のお一人でおられる伊藤史人氏タイムとなり、障がい児らの抱える問題や教育的な問題などをご紹介いただいた後、ICT実践ガールの結莉奈ちゃんとお母さんの綾子さん、特別支援学校教諭の山下先生と柳沼先生、その後にちょこっとですが、私も息子と共にマイクを持たせていただきました(もう、緊張した~~)。

 

私がお伝えしたのは、以下の3点です。

 

  1. 重心と言われる子ども達が(おそらく社会全体で)抱えている問題、すなわちコミュニケーションの可能性を過小評価されていること。その延長上にある特別支援学校のカリキュラムについて。

  2. かろやかに重度障がい児(との生活)を生きるための取り組み、千葉のフラミンゴ隊のこと。

  3. 医療ケア児のケア側(家族)が抱える課題のうち、母親の就労問題に風穴をあけたくてスタートした、私自身のひとつの就労パターンのご報告。

 

そんな感じです。

こうやって書くと、なんかちょっと立派に(?)感じるけれど、ただひたすらに、主に1番のことに悩みながら、どうにかしたくてすったもんだを繰り返し、他者のお力をたっくさんおかりしながら過ごしてきたら、こうなっていた、ということなのです。

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私より堂々と会場を見わたす、あっぱれなおぽん

今回のような機会をいただいたことをきっかけに、これからはもう少し、筋道のたった人生を歩いていきたいものだなぁ・・(思いつきや直感にばかり頼らないで)と思いました。子どもであれ大人であれ、重度障がいと共に生きる人々が、かっこよく、軽やかに、どこまでも自分らしく、生きていける世界。学びたいことを、学びたいだけ、学べる世界。

その実現のためにも、広い視野のビジョンと明るい気持ちをセットで抱き続けて、自分にできることは全力でやっていきたいなぁ・・と思いました。

だって、当事者ですから。本当のこと、必要なことを知ってしまった当事者には、ある程度、そのことを知らない世界に、伝えていく責任がある!・・・かも、しれない(だんだん、弱気・・(笑))。


そしてかっこいいと言えば、会場でお聞きしたALSの皆様のお言葉が、さりげにウィットに富みかつ優しさにあふれていて、なおぽんにもどうか、こんなオシャレな大人になってほしいなぁ・・と、自分にないものを息子に託した次第です。

 

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さてここからは、ひとりごと。

 

具体的にじゃぁ、何をやっていけばいいのだろう?と思い、ふと浮かんだことです。おそらく、最初の第一歩として、そしてその後も継続して私たちが簡単にできることが、ひとつ、あると思うのです。

それは、「イマジネーション」を忘れないこと、かなぁ。。

 

同会でもお会いした川口有美子さんの著書『逝かない身体ーALS的日常を生きる』(医学書院)を読んで、何度も涙や嗚咽がこみ上げました。自分の身に重ねたり、さらに膨らんできた想像に圧倒されたり。全ては、川口さんの凄まじい筆力とそれによって内容に引き込まれて生じた私の「イマジネーション」によるのですが(そして私はやや、想像力豊かな傾向にありますが)、我が子についてもしょっちゅう、考えるのです。「今、何を考えているのかな」「どんな世界をみているのかな」「もしかして今、笑ってるかな、ママのこと」・・・そんな感じ。

 

こうしたイマジネーションタイムを取ることは、時に辛いけれど、決しておろそかにしてはいけないことだと思います。何事も行き過ぎてはいけないし(かつてドストエフスキーを読んで心を病んでしまった友人を思い出します)、実際にケアに携わる人々においてはいろんな意見もあるでしょうけれど、相手の状態を思いやり推しはかる気持ちを、忘れないでいること。

身内でなくても他者に対してもそのようなイマジネーションを働かせること。当たり前のようでいて、私自身、ときに、そこから逃げていたかも、なんてことに気づきました。とくに、重度障がい児に関わっておられるみなさん!権威ある立場の方々から、どんなに「この子はきっとそんなにわかってないですよ」と(暗に)言われても、この「イマジネーション」だけは、忘れちゃいけないと思うのです。

 

そんなイマジネーションの中から、きっと、「もっといいもの」「もっといい方法」が見つかるのでは?と思います。

 

(『「こんなものだ」はいつもなく、「もっといいもの」はいつもある』・・私が自宅でやらせていただいてる学習塾の創始者の言葉。これは、まさしく名言!)

 

 

このような機会をくださった伊藤先生、さくら会の皆様に、感謝しています。

ちぢんだTシャツ

最近、子どもたちの成長スピードが、いちじるしい。

 

兄はとうとう、ほぼ同じ高さの目線を持ち、手の平なんて、もうとっくにぬかされました(ま、私は小さいのですけれど)。

弟は、まだ、サイズはさすがに120cmそこそこですが、横になっているだけに眼にうつる姿は頼もしい(コトあるごとに、他の方からは「大きくなったね~~」と声かけられてます)。

 

 

洗濯物をたたむ時も、気づけばオトナ物とたいして変わらぬサイズをたたんでいて、でも今日、少しだけ縮んだ下の子のTシャツをふと広げたら、久しぶりのちびっこサイズでした(どんだけ縮んだのだ)。

 

なんか無性に、コトバにならない、こみ上げてくる思いがあって、胸にギュゥっと、Tシャツを抱きしめました。

 

 

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たしかにこうやって、あっという間に子は育つのだなぁ・・・。

 

私よ、もっと大切に、大切に。 毎日を。

愛を込めて葉束を

家を建てた時の記念にいただいた、大切なオリーブでした。

また、根がついてくれますように。

大切に大切に想っていた木なので、これはもしかして、我が家の、私たち家族の、みがわりになって台風から守ってくれたのかな・・・。

 

愛と感謝を込めて、玄関にしばらく飾ります。

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信号機故障にみる普段忘れられている5つのこと

信号がないと・・・, 注意をはらう。

信号がないと・・・,ゆずり合う。

信号がないと・・・,とばしすぎない。

信号がないと・・・,自分の頭と心で考える。

信号がないと・・・,混んでても観念する(うけいれる)。

 

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9月8日の夜中から翌朝まで,ほんの数時間で,『台風の風』による猛烈な被害をこうむった千葉です。我が家は幸いにも停電わずかとお庭の被害くらいですみましたが,4日経った今も,まだたくさんの場所が緊急生活をしているようです。信号機もあっちこっち,変な方向を向いているので要注意です。

 

写真は昨日の昼まで停電していた息子の小学校付近です。信号機がついていないと,運転中に使う神経が,まったくちがうのです。なんか遠い昔の開拓時代の記憶がふと,よみがえったような,おかしな気分になりました。

 

でも冒頭に書いたこれらの事って,本当はいつも心がけておくべきこと,のような,気がします。

 

電力,その他たくさんの復旧作業に携わってくださった(ている)方々に,心から感謝しています(とってもとっても,暑い日々の中😭・・・)。

母でないけど母のような・・♫

障がいある子供は、持っているもの、できることが他の子どもより少なくて、かわいそうだな、と、思われているかもしれませんね。世間的には。

でも、彼らが彼らだからこそ得ている、すばらしいことが、数え切れないほどあるってことを、ご存知でしょうか。

 

なおぽんには、「私」という母親のほかに、母とほとんど変わらぬ距離で、母と同じくらいの深い愛で、母よりときに賢明でフェアな目線でもって、それこそ赤ちゃんの頃からずっと、成長を見守ってくださる存在が、この世の中に数人、いてくださいます。


これって、小さな家族単位で暮らしている今の世の中では、なかなか、一般の子供たちが得がたいもののひとつじゃないかな、と思います(現に、上の子について、身内以外でそこまでの存在の人は、パッと思い当たらない)。

 

そんな大切な存在のおひとりに、ど~っぷりと昨日は関わっていただいて、なんとも嬉しげな息子をみて、やっぱり嬉しい、母でした。


有難うございました~~!大きな愛と感謝、とどけ~~~!!

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失うということ

私たちは、知っておいた方が、いいのかもしれない。

 

 

また来よう、と思っていた場所に、ふと、行けなくなる日が、
またやろう、と思っていたことが、できなくなることが、
また会おう、と思っていた人に、会えなくなることが、

 

 

ある日突然、やってくるってことを。

いや、こういったことがある日突然やってきて、初めて人は、その事実に気がつくしか、ないのかもしれない。

 

当然、愕然として、深い底なしの悲しみにくれる。

なんとか、同じものを取り返せないかと、必死でもがくかもしれない。
でも、どれだけ嘆き悲しんでも、もう、決して同じ景色は見られない。

 

そして残念ながら、こうしたことは、生きとし生けるものであればほぼ全ての存在が、大なり小なり経験しなくてはならないことだ。

 

でも、一度(やもしかしたら何度も)そうした経験を経たあと、私たちはどうするか。

嘆き悲しみ続けて残りの人生を生きるか、それとも、ただ、その時が来たのだったのだ、と受容して、前に進むことを選ぶのか。

 

できることなら、後者の方がいい。


だって、変わり続けることは、必然。

自分もその中に巻かれて生きることを受け入れた、その先にこそ、新しいめぐり合いや「何か」が、待っているから。
最初は這ってでも、進むことの方を、選ばなくてはいけない。

 

 

「喪失のごう火をくぐることによって、わたしたちは人生のむこうがわに行くことができる。」

とは、私の敬愛するエリザベス・キューブラー・ロス博士の言葉(『ライフ・レッスン』角川文庫より引用)。今回、文体も、どこかロス博士(の翻訳本)風・・っていうか、どこかに書かれていたことのほぼパクリかもしれない(笑)。

 

 

愛するものを失った友人へ、何もできない私ですが、捧げます。

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