マロンは14歳の高齢犬。散歩の途中で、時折よろけることも増えた。今朝も、家まであとすこしの帰り道で、私を見上げた。
ちょっと、やすもう。
腰、すこし手をあててくれない?
と、そんな顔。
でもそれらは、うっかりと考え事なんかしていたら、見落としてしまうような、さりげないサインだ。
もしこのサインを見落として、私がぐいぐいと引っ張って歩いてしまったら、マロンはさぞかし、悲しいだろう。
・ ・
老いることも、病気も障害も、それ自体はきっと、悲しいことではないのだろう。
たぶん、それよりもむしろ、たいせつな人に話が通じなかったり、気持ちを伝えられないことの方が、ずっと悲しいのだと、思う。