もあみみ便り

獣医師ヒーラー れお奈のブログです。障がいも不登校も、ど〜〜んとこい!

地球のどこかに

なおぽんが入学当時からお世話になり続けている、担任の先生。きっと、来年はもう、さすがにお別れだろう・・。

そんな覚悟を持って、今年1年を過ごしてきた、私たち親子です。

 

さぞや涙、涙の終業式&離任式に、なるにちがいない、発作だって、起きちゃうかもしれない。・・・なんて思っていたのが、オヤヤッ、あれよあれよと世の流れに巻き込まれて、気づけば今週の火曜日が先生とのラストの日になっちゃった??

 

 

いつも通りに下校しかけて、そのことに気づき、あわてて動揺を隠せない、私です。なおぽんにもそんな気配がうつりかけた、その時。にっこりと軽やかに、

 

「だいじょうぶ、なおと君!センセ、地球上のどっかにいるんだから!」

 

のお言葉をいただきました。

 

 

そっかぁ~~。この地球上のどっかに、かならず先生は、いるんだ。

 

 

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当たり前なんですが、そしてどこか、ロマンチックな筈のおコトバなのですが、ふしぎと説得力があって、安心してしまった親子です。

 

 

ほんのひと昔前であれば、「この星のどこかに君がいるから」とか「同じ空の下に」なんて言葉が出てきた日には、ほぼ、もうほとんど会えない遠い地へいく(いる)誰かに、でも、”みえないけれど、心でつながっているからね”、という哀愁やロマンスや切なさなんかをともなって使われた、とってもポエティックな表現だったと思うのです。

 

 

でも、時代は変わり、今は、このコトバ通りに、地球上にいさえすれば、インターネットを通じて、リアルタイムにいつでもつながって、それぞれに同じ空をみて、顔をみて、おしゃべりだって、できるのです。

 

 

だから、先生のお言葉に、無意識ながらそのリアルな現実味を、感じたのでしょね♫

 

 

 

でもやっぱり、お別れシーズンはつらいなぁ。とくに、大好きな方々とは。たくさんたくさん、たーーくさん、「センセイ、ありがとー!!」の3年間でした。



 

たとえ推測だったとしても

「朝型人間になる」ことを、目指している今年。

それでもまだまだ体は夜型で、思わずまた深夜のブログ書き。

 

 

なおぽんを囲んでくださる方々に、広まり定着してきた感があること−−– なおぽんが、分かっている、ということ。

 

なにかにつけて、私でなく、なおぽんに、聞いてくださることが、確実に増えてきた気がするこの1、2年。そこにさらに、たずねた人を勇気付けるように、なおぽんからも、目に見えて(とはいっても一瞬芸だったり、ごく些細だったりするけれど)うなずき、お返事っぽいリアクションが、増えてきた、気がする。

 

 

聞いた人は、それでもまだ、こう、思うかもしれないな。

「自分の推測かもしれない。けれど、お返事が返ってきた、気がする。」と。

 

 

 

この、推測かもしれないけれど・・、ということについて、思うこと。

 

推測かもしれない。
もしかすると、本当に本当に、推測に過ぎなくって、そんな真実(なおぽんが、自分の問いかけに対して返事をした、という真実)は存在しなくって、ただ、たまたま、発作的な不随意的な運動や反射がタイミングよく入っただけなのかも、しれない、と、不安を感じたのなら。

 

そんな時は、こんな風に考えてみるのは、いかがなものか。

 

 

・・・・

 

たとえ推測だったとしても、それが一体、どうだというのだろう。

所詮は推測だったのだと結論が出たとして、それは一体、何をもたらすのだろう。

その時にもたらされるものは、自分が、「やっちまった」とか、「まちがっていた」という、自分という人間に降りかかってくる、敗者的な感覚や周囲からの目線、それに対して湧き上がる、恥ずかしさや後悔や自分の愚かさを呪うような気持ち・・・といったところか。

 

でも一方で、推測、それが、真実であった時。

その時に得られるものは、なんだろう。

 

ひとりの、体に閉じ込められながらも必死に想いを伝えたくって麻痺した体を動かそうと頑張る少年に与えた、一筋の光。自分の中の、推測かもしれない、という小さな声を知りつつも、全力で心の底から少年に問いかけをし、全力でその返事を受け取り、笑ったり答えたりした時に、見えないところで少年に与えた、大きな大きな、喜びと、希望の光。

 

 

・・・・

 

 

天秤にかけるような代物じゃぁないかもしれない。

 

でも、あえて、そのどちらを選ぶか、どちらを選びたいのか、を、自問自答してみる。

 

真面目な私の、真面目なおすすめ。

 

 

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そうだ、我が家に、新しいメンバーが加わりました。

 

なっちゃん」「ながちゃん」(本名はナガタクン)。

カラフルな、コザクラインコです。

ちょっといろんな事が滞り気味だった我が家に、新しい風を、文字通りバッサバサと、ふきおこし(ホコリを舞いあげ)、おかげさまで、コロナウイルスなんてどこ吹く風。

 

過剰な大騒ぎにヘキエキしたら・・、ちょっと、楽しいことに、フォーカスをずらしましょ。

 

Go, Go, PokeGo!

ただいま、絶賛、ポケGO! 中のなおぽん。
光眩しい連休中の、一コマ。

 


海を越えたところにいる大切なお友達と、国内の大切な先生方のおかげで、念願の第一歩です。

 

また、近いうちに、近況報告いたします〜!

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緊迫の2羽

帰ると、車を停めたい場所に、鳥が一羽。鳩のサイズで、頭のてっぺんがオリーブ色です。彼の脇に鼻を突っ込む形で、車が真横にいるのに、キッと、自分の前方だけを見つめて、動きません。

 

 

これは、ただならぬ、気配。思わず私は息を止めて、見守ります。なにが、起きているのだろう、この鳥に。

 

 

でも、家に、はいりたいなぁ。クルマを、とめたい。そんな私の心の声が聞こえたのか、トン、トトン、と前方に進むや、バシューーーっと低空飛行で飛び去っていく、オリーブ頭の鳥。すると、驚いたことに、その後を追い立てるようにどこからともなく、同じサイズの茶色い鳥が飛び出してきました。オリーブ頭の去った方角へヒューーーッと。そしてシュタッと、フェンスに降り立ち、勝ち誇ったように、かなたを見送る、茶色の鳥。

 

 

これは、大変緊迫した2羽のかけひきに、邪魔をいれてしまったわ・・と、ちょっと申し訳ないキモチです(とくにオリーブ頭、ごめん)。

 

 

帰って図鑑を調べてみたら、オリーブ頭がアカハラ、茶色がツグミだとわかりました(その瞬間の写真はないのです、ごめんなさい)。両者とも、スズメ目ヒタキ科の仲間で、「跳ねて歩いて、立ち止まる」という動きに、共通点があるらしい。

 

 

 (こちらは、別日に撮った、緊張感のかけらもない、鳥の写真です↓)

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我が家のあるエリアは、幸いにも自然がたくさん残っていて、しかも、ちょうど、住宅街と町の外れ(郊外、田舎ともいう)の境目にあります。一歩マロンと散歩で奥へ行けば、自然に近い森や畑があって、そんな場所は、ただよう空気感が、違うのです。時折、大物(の猛禽類)にも出くわすので、ワクワクします。

 

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鳥たちのように空を自由にわたる生き物たちは、地球の大地(ネイチャー)と、勝手に線引きをした人間たちとを、優しく、つなげてくれているんじゃないだろか。

 

「(人は)土から離れては生きられないのよ」

(『天空の城ラピュタ』のシータの名セリフ。)

 

 

それにしても、あんなにハッキリと「気迫」のようなものが感じられるんだなぁと、自分のシックスセンスを褒めたくなって、いや、野生だからこそ、その迫力が半端なかったのかなぁと、今日も、自然(ネイチャー)を、リスペクトです。

 

メモ書き

わたしはわたし

 


わたしはわたしでしかない。

わたしはわたし以上でもないし、わたしがわたしでなくなることもない。どこまでも、どんなでも、わたしは、わたしだ。

 


あの子とこの子の母で、あの人とかの人の子どもで、ドジで不器用だけど、動物が好きで、自然が好きで、好きってだけで泣いちゃうよな、それがわたし。わたしって、そんなもんだ。それ以上でもそれ以下でも、ない。

 

でも、そんなもんであることが、自分で誇らしいから、それだけで、いい。

 

ビフォー →アフター

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ただ、みんな潜っただけ。