最近、ひそかに「こんな形のが欲しいなぁ〜」と頭に描いていた、ガラスの花瓶。ほぼぴったりのモノを、ニトリで発見しました。
きみは、私にとってはワインカラフェでなく、立派な、花器。
息子のバッグというものは, 時折のぞいてみたほうが, いい。
プライバシーのコトとか, もちろんあるけど, まだかろうじて, 小学生だ。
つかった「小さじ」とか, きっとそれとセットだったのだろう, つぶれたヨーグルトのパックなんかが, 普通の顔をして入っている。
おそろしい。
仕事で, たくさんの子ども達と関わることができる。宿題ファイルなど, 如実に, その性差を物語る。破壊され, 寿命の短いファイル達は, こぞって男子たちから, やってくる。決して, 悪気はない。なかでも, 比較的おとなしめでインドアなのが, 我が息子・・のはず。
生物学的な, 男(雄)と女(雌)のちがいに, 思いをはせてしまう。
こうした, 苦笑しちゃうよな愛おしい「男のこたち」が, ほんの少しの時をへて成長したのが, 世の中を動かし, 背広に腕まくりで道を歩き, テレビの前で厳かに何かを語る, 「男性たち」(最近は変わってきていると願うけど, まだまだ・・)なのだ, と, 思う。
オスが子育てをする例外生物もたくさんいるし, 一概には言えないけれど, やっぱり, 雌雄差というものは生き物として, はっきり存在しているように思う。ホモ・サピエンス(人間)も, しかり。
とすると。
それはそれとして, 認め合うしかないのでしょうね。それぞれのジェンダーに属するものは, それぞれの特徴を, しっかり知っておいた方が, いいのでしょう。
たぶん, 女の人は, 知っておいた方がいいと思う,
「男というものは, バッグに使い終わったサジやまだ中身滴るヨーグルトのカップを, 鍵やペンと一緒に, しまっておける, 生き物である」と。
(ごめんなさいね, 世の, 男性みなさん。ただ, うちの息子だけかもしれないのに(笑))
ちいさな(家庭の)平和のために!
昨年末、私は、大切なものに一つ、別れを告げました。
この3年ばかり、子育てや主婦や、大人であることすら忘れ、没頭してきた大切な、大切な時間に。
まさか自分がこんなにワクワクできるなんて、思いもしなかった、輝くような瞬間(とき)の連続でした。本当に、不思議なほどに優しく見守ってくれる、メンバーとの出会いでした。
私が大人になって初めて、大人をすてて身を投じた、バンドでした。
本当に本当に、楽しかったな。
バンドメンバーのお一人が、贈ってくださった言葉です。
「難しいこと、苦手なことにチャレンジすることを楽しもう。(あなたも)チャレンジャーみたいだね」と。
車で、iPhoneをシャッフル再生していたら、次々と、ライブで歌わせてもらったSuperflyの曲が流れてきて、いよいよ、正しくこの時を選んだのかもなぁ、なんて思いました。それとともに、やっぱり、一つの章が終わったような気がして、涙がでました。
音楽に関しては、私の身内と違って、どこまでも素人でアマチュアの域を出ない私です。けどやっぱり、大好きなのです。そして、そんな私ごときのレベルでも、つぎにやりたいことが、浮かんでしまったのです。
不器用なので、そのためにと選んだ、ひとつのけじめみたいなもの。
いつも、不思議なめぐり合わせを運んでくれる、神様へ。
このご縁は、とっても楽しかったよ、ありがとう。
また、よろしく。。
そして、新しい一年が、はじまります。
イヌの平熱は、ヒトより1〜2、3度ほど高いのです(38度はぜんぜん平熱)。
冬場は立派な、動く湯たんぽです。
人により添い、その心とカラダを文字どおりにぬくぬくとさせるために、犬も猫も、存在してくれているのかも、しれません。
今日はフラミンゴ隊の忘年会。
なんどもなんども、思います。
仲間に、恵まれています。
エラそうに何かを言った自分を、後からとっても恥ずかしく思う程に、仲間の一人一人が、光るモノ、羨ましいほどの徳や技量や器や経験を、持っています。
すごいぞフラミンゴ。
やっぱり、恵まれています、フラミンゴ。
今年もありがとう、フラミンゴ。
来年もよろしくね、フラミンゴ。
もう何語かわからないぞ、フラミンゴ。
軽やかに生きようぜ、フラミンゴ。
ちょっとは落ち着きのある母になれるかな、フラミンゴ。
マロンはとってもあったかいな、フラミンゴ♫
ああ
深い深い、夢をみる。
"おにいちゃん、しゅくだい、が..(んばって)"
と弟が指で、私の手のひらに文字をつづる間に、兄はサクッと宿題を終わらせてピアノを弾きはじめる。
苦笑するかのように、止まる指。
「早いね、お兄ちゃん、宿題しあげるの。」
と、私がいう。
"すごいね。"
と、指がこたえる。
今日はテレビで、クリスマスにちなんだ歌番をやってる。名曲なんかも、たくさん、流れてくる。
弟の言葉に、めずらしくちょっとハニカんでから、「千本桜」の早弾きに興じる兄。一方、テレビで森山直太朗うたう「さくら」に、息をとめて聴き入る弟。
こんなにも個性豊かで、こんなにも性格も好みもちがって、こんなにも、ありきたりの兄弟で、ふつうに家族の中の時間は流れるというのに、これが、一歩世間にでたら、当たり前でないという事実。
そして、私自身に思う、なんとも言えない、いたらなさ。時々、おそわれる、こんな気分。
もっともっと、してやれるはずなのに、みたいな。まだまだ、努力が足りないだろう、みたいな。けどどこかに、だって仕方ないじゃないとあきらめ混じりの、吐息のような。
今日も何でか、パソコン、急に落ちちゃったな・・・やっぱ外付けディスプレイが、いるのかな。県立図書館から借りたデイジー図書、何で再生できないのかなぁ。返却期限はいつだったかな、・・・ぼんやりと、考える。
彼らが彼らのままで、我が子らが、ごくごくありのままに、まっすぐに、思いのたけをぶつけあい、それぞれが、それぞれの社会をもち、過ごし場をもち、ケンカをし、母に反抗し、こっそり秘密話をしあい、時になぐさめたり、励まし合ったりまたやっぱり、ぶつかってはケンカして。
できない理由なんて、わたしには何一つ、見当たらないのに、実際には、そのほとんど何一つ、できていないようだ。まだ、はっきりとは、実現していないようだ。世の中的に、そんな事の実現があるなんて、思われていないようだ。
だから、やっぱり、
深い深いため息と一緒に、
夢をみる。
ぼやっとさまよう目が、サン=テグジュペリの上でとまって、ひょっとすると、『ぞうをのみ込んだウワバミの絵』を、密かに抱えて生きる、飛行士みたいなんだなぁ、きっと、なんて、思う。
(追記・・翌日手元にある『星の王子さま』の訳書をみたら、「ウワバミ」ではなく、「ボア」と書かれていました)
あぁ、どうしよう・・
日曜朝、11時。朝というより、もうすぐ、昼。
私以外、家の中、子どもふたりに犬一匹。
が、みんな、 寝ている。
どうしてこうなったのかしら?
夜がちょっと、おそろしい。