もあみみ便り

障がいがあってもなくっても、子どもは子ども。あふれんばかりの「愛」を、子らに、犬に、自分に、この世の生き物すべてに、届けたいな。

たとえ推測だったとしても

「朝型人間になる」ことを、目指している今年。

それでもまだまだ体は夜型で、思わずまた深夜のブログ書き。

 

 

なおぽんを囲んでくださる方々に、広まり定着してきた感があること−−– なおぽんが、分かっている、ということ。

 

なにかにつけて、私でなく、なおぽんに、聞いてくださることが、確実に増えてきた気がするこの1、2年。そこにさらに、たずねた人を勇気付けるように、なおぽんからも、目に見えて(とはいっても一瞬芸だったり、ごく些細だったりするけれど)うなずき、お返事っぽいリアクションが、増えてきた、気がする。

 

 

聞いた人は、それでもまだ、こう、思うかもしれないな。

「自分の推測かもしれない。けれど、お返事が返ってきた、気がする。」と。

 

 

 

この、推測かもしれないけれど・・、ということについて、思うこと。

 

推測かもしれない。
もしかすると、本当に本当に、推測に過ぎなくって、そんな真実(なおぽんが、自分の問いかけに対して返事をした、という真実)は存在しなくって、ただ、たまたま、発作的な不随意的な運動や反射がタイミングよく入っただけなのかも、しれない、と、不安を感じたのなら。

 

そんな時は、こんな風に考えてみるのは、いかがなものか。

 

 

・・・・

 

たとえ推測だったとしても、それが一体、どうだというのだろう。

所詮は推測だったのだと結論が出たとして、それは一体、何をもたらすのだろう。

その時にもたらされるものは、自分が、「やっちまった」とか、「まちがっていた」という、自分という人間に降りかかってくる、敗者的な感覚や周囲からの目線、それに対して湧き上がる、恥ずかしさや後悔や自分の愚かさを呪うような気持ち・・・といったところか。

 

でも一方で、推測、それが、真実であった時。

その時に得られるものは、なんだろう。

 

ひとりの、体に閉じ込められながらも必死に想いを伝えたくって麻痺した体を動かそうと頑張る少年に与えた、一筋の光。自分の中の、推測かもしれない、という小さな声を知りつつも、全力で心の底から少年に問いかけをし、全力でその返事を受け取り、笑ったり答えたりした時に、見えないところで少年に与えた、大きな大きな、喜びと、希望の光。

 

 

・・・・

 

 

天秤にかけるような代物じゃぁないかもしれない。

 

でも、あえて、そのどちらを選ぶか、どちらを選びたいのか、を、自問自答してみる。

 

真面目な私の、真面目なおすすめ。

 

 

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そうだ、我が家に、新しいメンバーが加わりました。

 

なっちゃん」「ながちゃん」(本名はナガタクン)。

カラフルな、コザクラインコです。

ちょっといろんな事が滞り気味だった我が家に、新しい風を、文字通りバッサバサと、ふきおこし(ホコリを舞いあげ)、おかげさまで、コロナウイルスなんてどこ吹く風。

 

過剰な大騒ぎにヘキエキしたら・・、ちょっと、楽しいことに、フォーカスをずらしましょ。