古いフルートのケース、
Before↓
After↓
ボサボサの犬マロン、
Before、、というか、途中↓
After↓
手を動かすことが、結構すきです。
でも、さすがに、ボサボサの大型犬一頭を仕上げた翌日は・・いたるところ、筋肉痛です。
銀座のツタヤで、視線入力マイスター(島根大の伊藤先生)がおっしゃっていたことです。おそらくこれまでに何度も何度も、きっと、日本全国津々浦々で、身を危険にさらしてまでも(笑)吐いてくださっているのでしょうが・・、
重度障害を持つ子供たちで、今、ICT機器などを使ってコミュニケーションをとっている子はごく、ごく一握りであると。きっと、おそらく、まだたっくさんの子供たちが、その必要性も認められず、機会を与えてもらうこともなく、ただうずもれているだけであると。
私の頭の中に、深い、深い、海の底が浮かんだ。
そこ知れない大きくて深い海の中、光もわずかしか届かない、海の底近くに、たくさんの泡(あぶく)が漂っている。
なおぽんは、そんなあぶくのひとつ。
まわりにもたくさん、似たようなあぶくが海の中にうずもれていて、気づかれることもなく、ただ、そこに漂っているのだ。
あぶく達は、お互いの姿は見えるけれど、どこを見ても薄暗い悲しいブルーに覆われていて、なすすべを知らない。己の泡を保つのにすら、精一杯のあぶくもいる。
なおぽんは、そんな深い海に漂う、あぶくのひとつ。
でも、そこから少しずつ、少しずつ、海面にめがけて上昇しようとしている。上がっていく方向を、見つけることが、できたから。先輩のあぶくたちが、一生懸命上がってくれて、海面でともし続けてくれる、灯(あかり)がみえたから。
そして、上がっていくときには、かならず、他のあぶく達も一緒に、ひとりでも多くのあぶく達と一緒に、光へ向けて上昇するのだ。
だって、広い広い大海原で、たったひとつ、小さなあぶくが浮かんでいても、誰が気が付くだろう。何ができるだろう。でももし、海の中にあったあぶく達が、たくさんたっくさん、上に浮かんだなら、みんなで大きなひとつの「あぶく」だって、作れるだろう(スイミーのように)。
そうしたら、広い広い海の上でも、さすがにきっと、他の魚や船が、気付くだろう。
そんなことを考えながら、気づけば千葉の家に帰ってました。
(写真は、全く関係ない数年前のベルーガ氏)
先週から体調崩していました、なおぽん。実に久しぶり(!)の、体調不良。インフルだろか、入院だろか、と真っ赤な顔でゼロゼロと呼吸の荒い我が子の前で、すぐに自分もいっぱいいっぱいになってしまいます。
でも、今回はインフルも陰性で酸素飽和度(SPO2)も90台をなんとか、キープ。(家で)いける、と、親子で判断しました。結果、熱も1日で下がり、回復中です。
ほーーーっ。
本当に強くなったなぁ、有難や有難や、、、と思う一方、いつでもこうした突然の体調不良の度に、昔の感覚に引き戻されるのに気がつきます。もっと、もっと、なおぽんと私、命がけの綱渡りだった日々に。
でも、あの頃とおんなじでは、進歩がない。今回は体調不良なおぽんを前に、少し自分の心を傍観してみることにしました。
題して、
「体調不良の我が子を前に、親はどういう心持ちでいるべきか」
・・答えのでなさそうな、命題。
せめて、「〜心持ちで、いたいなぁ」、という程度にしておこう。
かつての、そして今でも簡単にとらわれがちな心、第1位は、やはり、「心配」でしょう。とにかく、心配。辛そうで、みていられない。あげくのはてには、自分まで一緒に、苦しくなる。そしてそれに続く第2位の心が「祈り」。どうか神さま、早く何とかしてあげてください、と祈る祈る。
で、今回のなおぽんを看ながら、得た結論ですが・・。
心配も、祈りも、あんまり重い気持ちでは、子にはかえって、迷惑!!かも、しれない。
ベッドの脇でマイペースに歌を歌えばよい、と言っているのでは、ありません。ただ、もしも、自分が今のなおぽんだったら、、?と想像を膨らませたりして、思ったのです。
横で、自分を見てくれる人には、元気でいてほしい。あんまり、眉しかめていてほしくない。がんばれーがんばれーといった余計な励ましはいらないし、ぶつぶつ祈られても、怖い。
毅然と、そんなに重くなく、明るい人に、そばにいて欲しいんじゃないかな、と思うのです。そして、大丈夫、必ずまた元気になる、とおだやかに言ってあげられたら、なお、良い。
どうしても、心配ばかりする私には、そして、親、という生き物には、難しいような気がしますが。(そして私は特に、すぐに人の気持ちにシンクロしやすかったり、します。)
でも、それでも。
なおぽんは、ひとりの人。彼が乗り越えられるカベは、私には想像をこえているかもしれない。過剰な心配や恐れを、彼にくっつけるのは、よそう。
そんな風にありたい、と、思いました。
長男が通う千葉市の小学校では、この時期、小6の学年で学校対抗試合(男子がサッカー、女子がバスケ)をします。
6年の人数が少ないため、息子含めて数名の5年生も加わらせていただいての試合でした。
見にいったら、砂ぼこりの中、ただ、無心に、必死に、ボールを追いかける子供達の姿。声をはりあげて応援する、たくさんの子供達の声、声、声・・・。
太陽はまぶしくて、明るいたくさんの声援がこだまして、全力でグラウンドをかけまわる子らの姿があって、そこにはエネルギーが満ち満ちていました。
もう、そのエネルギーの渦にのまれ、圧倒され、私はただ、涙ぐむばっかり。
すごいなぁ・・・、子ども達って。
有り難く、エネルギー、チャージ!
今朝、小学5年の上の子が、学校へ出かける前に、私にききました。
「今日、イルカの世話?」
まだ半分眠っている私の頭の中が、めまぐるしく動きまわります。
なんだろう。水族館?イルカ?なんかそんな話あっただろうか。
(かつて私は獣医でしたが、ただの一度だってイルカの世話などしたことはない。犬か猫か、ガンバっても、亀。)
2匹、イルカのぬいぐるみも頭に浮かびます。何か彼らの世話をするんだったか?
何かの謎かけ?
「・・・・イルカの、せわ?」
やや長い沈黙を経て、こう聞き返した私に、子供、ニヤリと笑いました。
「・・今日、いる、可能性は?」
何だぁ!彼が帰宅した時に、私が家に「いる」か「いない」かと、聞いたのでした〜〜〜(笑)。
イルカのお世話について、ほんのちょっととはいえ、その可能性を真面目に考えた自分って、すごいなぁ、なんて、思いました。
ちなみに、私は大学を卒業してしばらく、本気でイルカのコミュニケーションを学びたい、と思った時期がありました。そのために海外の大学に願書まで出したことも、あったのでした。。。(落ちちゃったけど)。
なんて、久々に思い出して、うん、イルカじゃないけど、コミュニケーションについてなら、何やかやとやってるな、今の自分。そんなにブレちゃいないのかもなぁ・・なんて、感じました。
はい、どんなにかっこいいことを言おうとも、筋金入りの、天然おっちょこちょいです(笑)!
あけましておめでとうございます。
気づけば、年が明けていました。2018年こそが、私にとってはすごい速さで駆け抜けたイノシシのような年でした。
そして2019年、こんにちは。
今年はどんな一年になるのかなぁ。
この、期待に満ちた目。
この瞳の中には、確かに、豊かな心とまっすぐに未来を見つめる意思がある。
今年も、この事実を、どれだけ多くの方にお伝えできるでしょうか。
そして地に足をつけ、実際にどれだけ自分の手足(と頭)を使っていけるだろう。
Wish me luck!
…and may all the people have a wonderful year!!
(写真は本日、パソコンをセットする際に固定台の隙間から撮ったなおぽん。パソコンのセットを始めると、とってもワクワクした目つきになる。)