もあみみ便り

障がいがあってもなくっても、子どもは子ども。あふれんばかりの「愛」を、子らに、犬に、自分に、この世の生き物すべてに、届けたいな。

考えない、訓練

庭の草取りを、こんなにゆっくりできるなんて。

子ども達と、犬と、鳥と。ここ数年では、あり得なかったような密な日々を、送っています。

 

ある日は、
思う存分、なおぽんのケアをする(朝のケア、終わったら昼だった件)。

 

ある日は、
思う存分、マロンのブラッシングをする(これは耐えかねたマロンが途中で逃走)。

 

ある日は、
息子の会話に、とことん、付き合う(話すスピードが早いけれど、最近、彼が遅くなったのか私の耳がよくなったのか、だいぶんついていけるように。そして「ワンチャ(ン)」などの若者言葉を、かなりマスター)。

 

ある日は、
思う存分、鳥と遊ぶ(求愛行動をし始めたので、微笑ましくも、どうしよう・・)。

 

ある日は、
思う存分、なおぽんの発作に、付き合う(最近、西洋医学に頼らない対処法をゲットしつつある私です。できることがあるって、すばらしい)。

 

 

そしてある日は・・・、
思う存分、草取りです。

 

普段、どこまでも、いつまでも、何事かを考え続けている私の頭なのです。でも、それがキライで、この草取りを、「考えない」タイムに当てることにしました。

 

ところが。

抜きながらに、「あ、このハチは私に何か訴えているのだろうか」「雑草だってちゃんとした草なのに。これはなんて名だろう」「子どもたちは、テレビの見過ぎじゃないだろうか」・・・・。

 

結局、途切れることなく、雑念があがってくるのです。もう、頭はパンパンだっていうのに〜〜!

 

だから、私は、草の一本一本が、「煩悩」だと、思うことにしてみました。すると、ほら、煩悩は108つ。ひとまず、自分の煩悩を抜いていくのだと思えば、数をかぞえながら無心にかえれるというものです。

 

一つ。

二つ。

三つ。

 

108つ。

 

結構、面白いです。

煩悩は、根っこまで抜けなければ、数えてはいけません。根っこが残っていては、必ずまた、その煩悩草は現れるのです。

 

だから、一生懸命、根っこを抜くことに集中して、数を数えることに集中して、やっと、私の忙しい頭が静まり無心になることができました(これ面白いことに、雑念が出てくると、煩悩草を上手に抜けないことが多いのです、葉っぱだけ、プチっとなってしまって、あぁ・・・笑)。

 

こうやって、頭をしずめて「いま」「瞬間」だけを、生きてみる。いわゆる、世の中で「瞑想」とか「マインドフルネス」って、いわれているものの、仲間なのでしょう。・・・ちょっと苦手な、私(気づいたら眠っちゃう)。

 

でも、外の3密を避けるために、家の中の「密」に閉じこめられ、頭と心がパンパンになってしまいがちな、こんな日々。未来も、見えない何かにわけがわからなくなりそうな、こんな日々。内へ内へと目を向けさせられる、こんな日々。とっても大切なメソッドだと感じています。

 

静かな瞑想空間なんて、家の中にはどうやってもつくれないもん!って場合も、たぶん考え方ひとつなのです。草取りでも、できるかも♫。

 

ちなみに私の煩悩草は、108つどころじゃなく、108つを十回くらい引っこ抜きましたが、これでやっと、半分くらいでしょうか。まだまだ、お庭に残っています・・・。