もあみみ便り

障がいがあってもなくっても、子供は子供。あふれんばかりの「愛」を、子らに、犬に、自分に、この世の生き物すべてに、届けたいな。

特別支援学校に通う息子の勉強について、真面目な打ちあけ話です

今年はじっくりと、なおぽんに訓練ゲームだけでなく、お勉強もさせてあげたい、と考えています。

 

特別支援学校に通っている次男、なおぽん。彼が在籍するクラスでは、国語や算数といった、お勉強系の教科書はもらいません。かわりに、絵本をいただきます。学校入学前には、兄のように勉強するんだ~、と夢ふくらませていた彼には、酷な話です。でも幸い、我が家はその情報だけは入学前から知ることができたので、本人にも伝えておくことができました。

 

今年で学校生活3年目に入りますが、学校に行く意味、目的、そんなものを考えながら過ごしてきた気がします。

 

最近Facebookにも似たような驚き(悩み)をもらしている投稿を発見。

(ご本人のお名前が出てしまうので、許可をいただき次第、こちらにリンクを貼らせていただきたいなぁと思っています。でもポランの広場で有名な伊藤史人氏のFacebookからも、きっとたどり着けることでしょう。)

 

そこで、同じような思いを抱えた障がい児とお父さん、お母さん達に、もし参考になることがあればいいな、と、この2年間の道をざっくりと記録しておきます。(きっと道は一つでない。かつ、私たちが通った道は、母の性格上、かなり適当かもしれない。)

 

 

まず入学当初から、たくさん、たくさん、私となおぽんの意思については、学校に伝えてきました。学校側が一番気がかりな、医療的なこと、発作の形から時間、そして聞かれてもいない、本人の性格やくせ、ときに心眼のようなもので見極める本人のサインについて。

 

私は、これらのことは、重度の子供であればあるほど、親側に伝える責任があると思っています。だって、学校は、教育現場。先生方は、みてくださる、と言っても、医療の専門家ではないのです。あくまでも、教育がご専門なのです。

 

なおぽんはまた「身障者手帳1級」という、いわゆる「重度で医ケア児」という世間的レッテルのはられた子供です。一見するとどこも動かせない(でも発作ではかなり動く)、人形のようなタイプの子どもだったので、とくに、それはそれはたくさんお伝えしました(どっちにしても付き添いに一年近く、時間がたっぷりありますしね)。

 

でも、意識したのは、なるべく自然に、軽く、笑顔で、彼の状態を伝えること。

 

だって、彼の体の状態は「重い」かもしれないけれど、心は「軽い、自由」であることを私は知っているから。障がいを重~~くつらく、悲しいことにしているのは、結局のところ、周囲の人間なのです。

 

 

 

そして私は、よく小耳にはさむような、学校vs親、という図式は好きではありません。

 

 

学校の先生方だって、大変なのです。縛りが、たくさん、あるのです(きっと)。

一生懸命やってくださっているのです。

 

細かいところは、ご存知でなくて当然。

ただ、ご存知でない、だけなのです。しつこいようですが、学校全体が、社会全体が、ご存知でないことがたくさんあるのです。そして特に、一人一人の病状、ケア、性格と、確かに、普通より難しい子供たちなのですから。

 

 

だから、そう思うと、ちょっと厳しそうな学校のルールだって、とんちんかんに思える規則だって、決して、目の前の先生方一人一人のせいだなんて、絶対に思えなくなります。そしていざ色々関わっていただいたら、さすが教育のプロ、という、新しい視点や発見も度々くださったりして。

 

 

そういう、「めーーーーいっぱい伝える&教わる」の気持ちで、2年間学校に通わせてきました(決して、察してよ~とか、空気読んで~なんて、思わないことです)。

教科書がないこと、教科の学習がないことも、「本当は、やりたいんですよ~~」と、笑顔でしっかりお伝えしてきました。「できれば、教科書、いただけると嬉しいなぁ~~」と。

 

 

すると、やっぱり先生方も一生懸命なんとかしようとしてくださる。

学校たるもの、「ではカリキュラム、変えちゃいましょうね~~」とはいかない、なかなか厳しい体質をお持ちのようなので、それでもなんとか工夫して、一人一人の個人タイムに、算数の足し算に取り組んでくださったり、絵本の読み聞かせレベルも考えてくださったように、思います。

 

 

そして、今年。またアンケートがあったので、また、私は書きました。

「教科書、いただけると嬉しいです~~」と。

 

 

そしてそして同時に今年は、個人的に、デイジー教科書というものを申請してゲットしてみました。

(こちら→ http://www.dinf.ne.jp/doc/daisy/book/daisytext.html

 

一般の小学校で使われているのと同じ教科書を、パソコンなどの画面でうつし出し、自動音声で読み上げてくれます。今や、パソコン持参で通う小学生となったなおぽんですから、そのパソコンに入れたデイジー。すぐに、先生方も気がついてくださいました(今年は学校でもこれを使ってもらえたら、嬉しいな)。

f:id:leona_moana:20190304004022j:plain

f:id:leona_moana:20190303121002j:plain



きっと、今年も学校から教科書はいただけないかもしれない。でも、ゲットしたから、大丈夫。

必ず、方法は見つかるのです。

 

大切なのは、どんな時も、誰かを責めないこと、なのじゃないかと思います。特に、なおぽんに直接関わってくださる人々のことは、まず、感謝。それにつきます。

どんなことであっても、かならず、希望し続けていることには、道はひらける。できれば、その開いた道は、人の笑顔の先にあるものであってほしい。

 

かならず、道はあります。

 

 

そして、最近なんとなーーく、分かりかけていた特別支援学校に行くことの意味も(もちろん自立活動でのリハビリとか、明らかに色々あるのですが、ここではお勉強に関して、です)、『サイボーグ時代』の著者、吉藤オリィ氏がすらりと表現をしてくださっていました。

 

学校に行く意味、それは、休み時間にこそ、あると。

(一応補足すると、ここで彼が伝えた『学校』は、一般的な意味の学校です)

勉強なんて、もう動画などでも十分にできる時代である。

休み時間にこそ、友人との関わり、コミュニケーションや、社会との関係を学ぶのだ、と。

 

ふむ。ふむ。そう割り切ってしまうのも、いいじゃないか。

 

なおぽん自身、近頃はそれをしっかり意識している模様。

ちゃんと、いろんなことを吸収し、自分からも発信しようとし、徐々に私から自立した姿勢を身につけ、2年前の彼とはもう立派に違う姿へと、日々進化しています。

だからやっぱり、学校って有難いところなのです。

 

ちょっと長く、熱くなってしまいました(こんなところまで読んでくださっている人、いるかなぁ?)。

 

 

ちなみに、学科のお勉強、ということについては、どんな学校であっても、今、大きな転換期に来ている、といわれてるように思います。

AIの台頭とそれに付随して求められる人材の質の変化。

教育全体が、ぼちぼち、「かわりどき」なのでしょう。

 

だから、なんであれ、マイペースで、良い。きっと、やりたいことを、やりたいようにやって良い。誰かを責めるよりもその同じ時間で、自分の手足を動かし、目の前の子供に合う勉強方法を探す方がいい。一人一人に合う方法を探し、得意な方法、得意な科目を選びながら進むという、新しい勉強の仕方が、今後は主流になるかもしれない。

 

なんかまだ、どういう方法が息子に合うのか、彼が何を得意としているのか、わからないけれど、学校入学当初よりもずっと、息子の勉学について、楽観的な自分がいます。

 

あせらず、一歩一歩、探し求めて進んでいこうと思います。

 

長い文章、お付き合いいただいて有難うございました♫

f:id:leona_moana:20190227172957j:plain