もあみみ便り

障がいがあってもなくっても、子供は子供。あふれんばかりの「愛」を、子らに、犬に、自分に、この世の生き物すべてに、届けたいな。

海にうずもれたあぶくたち

銀座のツタヤで、視線入力マイスター(島根大の伊藤先生)がおっしゃっていたことです。おそらくこれまでに何度も何度も、きっと、日本全国津々浦々で、身を危険にさらしてまでも(笑)吐いてくださっているのでしょうが・・、

 

重度障害を持つ子供たちで、今、ICT機器などを使ってコミュニケーションをとっている子はごく、ごく一握りであると。きっと、おそらく、まだたっくさんの子供たちが、その必要性も認められず、機会を与えてもらうこともなく、ただうずもれているだけであると。

 

 

 

 

私の頭の中に、深い、深い、海の底が浮かんだ。

 

そこ知れない大きくて深い海の中、光もわずかしか届かない、海の底近くに、たくさんの泡(あぶく)が漂っている。

 

なおぽんは、そんなあぶくのひとつ。

 

まわりにもたくさん、似たようなあぶくが海の中にうずもれていて、気づかれることもなく、ただ、そこに漂っているのだ。

あぶく達は、お互いの姿は見えるけれど、どこを見ても薄暗い悲しいブルーに覆われていて、なすすべを知らない。己の泡を保つのにすら、精一杯のあぶくもいる。

 

なおぽんは、そんな深い海に漂う、あぶくのひとつ。

 

でも、そこから少しずつ、少しずつ、海面にめがけて上昇しようとしている。上がっていく方向を、見つけることが、できたから。先輩のあぶくたちが、一生懸命上がってくれて、海面でともし続けてくれる、灯(あかり)がみえたから。

 

そして、上がっていくときには、かならず、他のあぶく達も一緒に、ひとりでも多くのあぶく達と一緒に、光へ向けて上昇するのだ。

 

だって、広い広い大海原で、たったひとつ、小さなあぶくが浮かんでいても、誰が気が付くだろう。何ができるだろう。でももし、海の中にあったあぶく達が、たくさんたっくさん、上に浮かんだなら、みんなで大きなひとつの「あぶく」だって、作れるだろう(スイミーのように)。

 

そうしたら、広い広い海の上でも、さすがにきっと、他の魚や船が、気付くだろう。

 

 

そんなことを考えながら、気づけば千葉の家に帰ってました。

 

 

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(写真は、全く関係ない数年前のベルーガ氏)