もあみみ便り

獣医師ヒーラー れお奈のブログです。障がいも不登校も、ど〜〜んとこい!

「我が家にはひとりの『(身体的)挑戦者』がいます」・・なんか、よくない?

福岡に福島先生という方がいらっしゃいます。特別支援教育や、障害の子供達に使える最先端のテクノロジーを次々ご紹介してくださって、そのブログはもう、宝箱のようです。先日はFaceboookで、ドイツにあるIntelligazeという視線入力装置の一つをあつかう会社をご紹介されていました。そのホームページをのぞいてみて、私は、とっても、とっても、衝撃をうけてしまいました。

 

それは、ページの冒頭で使われていた、このコトバ(・・ナント、内容じゃぁない。あ、内容も大変良いです。念のため)!

 

”physically challenged users” 

 

直訳すれば『身体的に挑戦しているユーザーたち』。

つまり、『身体的、挑戦者たち』。

 

わぁ・・・と、私は初めて聞くこの言い回しに、”ときめいて”しまいました(笑)。とっても、なかなかに、素敵な表現じゃあ、ないですか!

 

日本語では「障害」とか「障がい」とか。
「害」の文字に抵抗がある、という意見もわかるし、一方で、それはただのごまかしに過ぎない、という意見もあります。どちらも理解できますし、でも何より、根本的なところでモヤっとしたキモチを絶えず抱えてしまいます。

 

はたまた「要支援者」とか「肢体不自由者」とか。
こちらも、支援がいる人、自由にできない人、という意味ならば、私たち、みんな、そう♫。(たとえば私はとっても目が悪いので、メガネやコンタクトがいるし、時間やお金の管理ができないので、優れたアプリや人の支援がいるのです(笑))。

 

 

どうしても、これまでの日本語には、障害者をネガティブなイメージの枠の中におき、健常者が優れているかのような錯覚をあたえる表現しか、存在していないように思います。

 

そこで。

 

あーだこーだと、既存の言葉をこねくり回すより、ガラリと発想を変え、自分だってそう呼ばれたい、くらいの呼び名にするのも、悪くない、と、思うのです。

 

 

『挑戦者たち』。

 

さすが、ドイツ(・・英語で書かれていたから、ドイツとは限らないか?この表現を最初に作った人に、乾杯したい気分)!なんか、かっこよくって、嬉しくなってしまいます。

 

 

現に、障害者の方々は、立派な「挑戦者」です。
幼い子供から、お年を召した方まで。自由にならない身体にのりこみ、かかんに、この世を泳ぎ渡っていく、真の「挑戦者」です。

 

 

海外ドラマでよく見るように、両手でチョンチョン、とカギ括弧サイン(”)をつくって(わからない方、ゴメンなさい)、

彼(彼女)はあれだね、ザ ”挑戦者” だねって。

 

そう呼ばれる方が、いいに決まってる。

 

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視線入力でゲームをするなおぽん

我が家の挑戦者。
日々、視線入力ゲームに挑戦中です(ちなみに目を動かす、っていうのも、本当に、本当に、本当に、大変なことなのです、彼にとって)。

 

小さき世界におもいをはせる、小さき平和な日のはなし

数日前のことです。

家の中で小さな小さなテントウムシを見つけました。

テントウムシ、、だと、思うのです。

 


すんごく目をこらしてみないと、分からないくらいに小さくて、でも、きれいに丸くて、つかまっているティッシュペーパーの上へ上へと、登っていくのです。

 


外に出して、あらためて、写真を撮ってみました。全長3mmくらい。黒い斑のわずかな隙間に、たしかに赤い色がみえる背中。

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「みて、みて、テントウムシの子どもだよ~~!」

 


と、子らのひとりひとりに言いました。一人はわざわざ2階から呼びよせ、ひとりは目の前20cmまでテントウムシを連れて行って。

 


しかしよくよく考えますと、テントウムシの子どもは、“幼虫”です。ツルッとして愛らしいオトナのテントウムシとは似ても似つかぬ、ザ、幼虫。そこから蛹になり、羽化してあのレディーバグへと変身するのでした。

 


あわてて、ネットで調べてみましたが、テントウムシに似ている小さな虫、として紹介されているどんな虫も、あてはまらないようです。

 


やっぱり、テントウムシだと、思うのです。

 

 


そして外の植木の葉っぱにのせて、元気で、おおきくおなり~~と見送ってから2、3日。今日、何気に同じ植木をのぞいたら、きれいに大きな、ナナホシテントウがいました。

 


わぁ~、あの子がこんなに大きくなったー??

 


と、おもわず写真をパチリ。

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でもこれまた、よくよく写真を見返してみますと、黒い斑点の数も違うのです。かの日の小さきテントウムシ君は、どうやら、四つ星(笑)。

 


別人(別虫)だ。

 

 

 

そう。だいたい、そもそもが成虫なんだったら、あれから大きくなんて、なってないかもしれない。

 


虫の世界にだって、きっと、いろいろな違いは、あろうじゃないですか。とても小さな卵からとても小さな幼虫がうまれ、とても小さな蛹をつくり、小さな、けれども確かな、テントウムシのオトナになる。あのまま、小さきテントウムシとして、りっぱに生きていてくれれば、それでいいんだったな・・・。

 

 

 

 


人間界では、どちらかといえば小さくコンパクトな身にうまれた私ですから、なんとなく、応援してしまうのでした。

 

自分への忘備録

なおぽんの目と鼻の先に、大きく口のさけた黒い犬の顔。まかり間違えば、恐怖の空間。しかし、目元にはわずかな緩みあり。大丈夫、😊嬉しいらしい。

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緑がきれいだよ~、と、窓全開で走る朝の通学路。快か不快か。運転中で顔は見えず。ここはもう、母の独断場をゆるしてもらうしかない。

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彼が何を考え、何を好み、何を感じているのか。今の私には、到底分かりきれない。

浅く、想像はできるけれど。

 


だから、彼のコトバを、彼の想いを、早く知りたいなぁーーーと、日々待ちこがれてしまう、母親なのですが、、、、、遠くばかり見つめていても、いけません。

 


先日、ヤキモチ焼きのなおぽんの兄に、「早くあなた達に兄弟ゲンカのひとつでも、させてあげたくってさ~」と言ったら、「え。もう、してるし」とさらっと返ってきた言葉。・・・あ、そっか、し、してたんだ。

子供達なりに、それなりのやり取りをしている場面が、頭をよぎる。

 


夢を追いかけながらも、「今」を大切にする事、これは決して見失ってはいけないことです。子供達に、見習うべきことです。

 

つまり、夢を具体的に頭に描き、そのために必要な、通るべきステップを、きちんと見定めること。そのステップを日々、地に足をつけて一歩一歩、踏みしめて進むこと。でも、同時に、踏みしめている地面や、その場にある『すべて』に、注意と敬意をはらって、存分に楽しむこと。

 


言うはやすし。そのバランスとるの、なかなか難しいのですが。

ココロの欲するところ

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デルフィニウム

この花を欲するのは、私にしては、めずらしい。いつもはあまり選ばない、寒色系です。何となくですが、寒色系の花たちは、往々にしてはかない雰囲気が多いような。

ところがそんなイメージとは裏腹に、結構、長持ちで強いのです。このデルフィニウム達も!もう、買ってから何日目かしら。

 

人は、必要な時に必要なものに手を伸ばすように、できていると思います。風邪っぴきさんは、おかゆやすりおろしリンゴが自然と美味しく感じるし、高揚した気分の時には、ノリノリの曲を無意識に口ずさんだり。

 

色、というのは、中でも深層心理に直結しているような、そんな話もきくことです。アイスブルー色にばかり、目がいってしまう近頃の私は、何を求めているのかな?

 

カラダやココロが欲しているものに、より敏感に気がつけるようになったなぁ・・と、自画自賛しつつ、その欲するところの意味までは、今はまだ、分からない、と。

 

 

 

 

 

この場所での願いはひとつ。意志があることが伝わること。

今日から一泊短期入所する先は、テレビだけを友とする、小学生にはちょっとばかり気の重くなる個室です。

 


ここ数回は、それでもPPSスイッチを持参して『できる子供なおぽん🤣』のイメージアップ作戦が功を奏してきていたのです(ただ、スイッチにぎって行って、ピーピーならすだけなのですが)。が、なんと、本日はPPSさん、ちょっと貸出して不在なのです。代わりに、というか2台目として自費購入したスイッチは、大変すばらしいポテンシャルを感じつつも、まだ使いこなせず、時折、スイッチを押し続けていても気づかないことが、あったりします(ピエゾのようなピー音がなく、ランプ点灯式なので)。これは、まだ、スイッチ操作そのものの訓練生には、やや、痛いのです。

 


そこで、このスイッチの出力先に、音の出るおもちゃ(コンパクトで幼稚過ぎず、バギーまわりに設置できるもの)を探し続けること1ヶ月。なかなか、ない・・・。とりあえずスターウォーズのBBエイト音がするオモチャにつないでいますが、最初のスイッチオンのタイミングでしか鳴らない(つまり、入力中ずっとなり続けてくれない)ので、うーーーむ。

 


ところが、突如、お泊りにでる寸前に神がおりてきて(笑)、100均泡立て器で、とりあえずの物を作ってみました!恥ずかしいけれど、とにかく、動いた。今のところは、これで、『スイッチの押しっぱなし』に本人が気づくことが、できれば充分!

 

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なんだか情けないくらいの代物ですが(しかも、思ったほどビーズの音が鳴らない。泡立て器の回転数が早いのでしょう)、それでも、物珍しく思ってくださる施設、スイッチの利用者が1人も周りにいない施設。・・・優しい看護士さん方が多くいらっしゃることは、大きな救いですが、もうちょい、何とかなるといいなぁ、、なおぽんにも、もうちょい、マシな物をはやく持たせてお泊りさせてあげたいなぁ、、。と、願います。これには、私自身のスキルアップ、これが欠かせないですね(ふーーっ・・)。

 


ま、ひとまず明日まで、しょぼいけれどこれで乗りきっておくれ~~~~

空飛ぶ雲に同じ

この宇宙に地球がうまれて、地球に大気がうまれて、それからただの一度も、ただの一瞬でも、同じ形だったことはない、雲。

そんなコトに、あらためて気がついた昨日の朝です。

 

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ということはやっぱり、私たちだって、たえず変化し続けているのだなぁ、と思います。

 

 

朝起きたときには、きっと、昨日よりシワが1本くらい増えてるだろうし、昨日、やっちゃったなぁ・・と胃を痛めた出来事も、なんだ、勉強になったじゃないか、ととらえていたり。

 

 

落ち着いた環境にいるときは、これが、このまま、続けばいいなぁ、変わらなければいいなぁ、と、人は願いがちだけれど。忘れないでおかなくては、と思います。

 

私たちも、私たちが存在するこの場も、すべてが、いつも変わり続けているっていうこと。

 

 

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さらに言えば、人生って、『予測不可能』な変化の、連続かもしれません。

 

 

 

我が子が突然障がい児となったり、思わぬ形で家が建ったり、期せずして、魂ゆさぶる人々と出会ったり。

 


でも私の場合とくに、そうした「予測不可能」な出来事の中でこそ、信じられないくらいの宝物を見つけてきたように、思うのです。

 

 

こんなの、聞いていなかったーとか、話がちがう、なんて、慌てたり落ち込んだり、昔の自分や人を、うらやんだり(・・いっときは必ず、そんな時があるけれど、なるべくならば)、することなく、ただ、目の前に突然降って湧いたこの新しい条件を、ときに必死に、ひたすらにまっすぐ、うけとめ続ける。

 


ただ、それだけで、いいのでしょう。いま、ただ、今をいとおしんで、丁寧にいきられれば、それで、きっといいんだ。

 


そしていつか、その状況を愉しんでいる自分を発見できれば、なお、上等!

 

ほら、雨ふりバス停、雨傘をさして待っている時、急にボタボタッと落ちてきた雨音には、おもわず鳥肌がたってしまう。でもその後、にんまり〜と、笑ってしまう、トトロのように。

 

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また、新たな『予測不可能』が、私の前にやってきたような、そんな予感がしています。

・・あ、予感や予測がつくようでは、『予測不可能』じゃあ、ないのかな(笑)。

 

 

ゾッとするほどに美しい

ゾッとするほど、美しい。

心が、(へんな表現だけど)つぶれそうなほどに、美しい。

 

本日は2度ほど、そんな心震える瞬間を経験しました。

一つ目が、色鮮やかな苔むしたグリーンに、くっきりと浮かび上がる、木の幹のシルエット。

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寒風の中、リハビリセンターと、そこに隣接するこども病院との間を、なおぽんと二人で往復していた途中の出来事です。ただ往復するのもつまらないので、ちょっと寄り道して、敷地内の小さな公園でお花見をしたのです。

 

桜はもちろん、それはもうタイヘンにきれいで、ドンピシャ見頃だったのですが、私が「はっ」と息を飲んだのは、先述の、苔むした地面と木がつくりだした、おそろしいほどに色鮮やかな情景だったのでした。

 

ただそのコントラストが美しかったとか、デザインが綺麗だったとか、そんな陳腐なことじゃぁ、ないのです。そこには、そう言ったみた目を超えた、躍動感、や、キリッとした、シビアな自然があって、近づいてよくよく見てみると、おそらくこの数日で地面からニョキっと出てきたらしい、苔の新芽たちが、たっくさんおられました。

 

ギッシリ、ぎゅうぎゅうと、ふかふかのグリーン絨毯をつくっている、その子供の苔たちが放つエネルギーときたら!日の光をめいっぱいにうけながら、大喜びでまたはね返しているのが、目にみえるかのようでした。そしてそこに、威風堂々とそびえ立つ、熟年の木・・たくさんの冬を乗り越えながら背筋をピン、と伸ばした立派な木・・ときたものです。

 

・・あ、ちょっと私、こんなことでこんなに感動して、変人かなぁ?

でも、変人で結構。これが、私です。

 

そして、変人ついでに言うと、これがきっと、本当の「春」なのです。人間だけじゃなくて、地球上にいる(ある)たっくさんの「いのち」が、こうやってあたたかい春の兆しを喜んでいる。そんなさなかにきっと私たちは、ふらっと通りかかり、その喜びをちょこっと共有させてもらっただけに、すぎないのでしょう。

 

 

地面が見にくいなおぽんに、ああ~『寝たままメガネ』を今、この瞬間に持っていないことを後悔!でも見せたくって、見せたくって、バックしてなんとか・・目の端っこに、映ったかしら・・・?

 

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そして二つ目は、車を運転しながらちらりと見えた、遠くの紅の夕焼けです。

真っ赤でもなく、オレンジでもない。ピンクも混じったような、不思議な色合いで、チラ見した瞬間に、再び心が「ゾワ~~」「ギュゥ~~っ」。

これはさすがに運転中なので写真を撮れませんでしたが、あの、心の鳥肌は忘れられません。

 

 

自然はいつでも、ものすごいプレゼントをくれているのですね。

 

どんなに忙しくっても、それに気がつける自分でいたいです。