もあみみ便り

獣医師ヒーラー れお奈のブログです。障がいも不登校も、ど〜〜んとこい!

なにかしらのシンクロニシティ

不思議な偶然、シンクロニシティに見舞われた時、人はハッと我に返る。

そもそも、偶然、というものはないという。

 

今日、かつて暮らしたことのあるアメリカの街、シンシナティオハイオ州)からだと、二人のアメリカ人女性が我が家を訪ねてきた。

 

とーーっても、驚いた。

 

彼女たちは看護の先生と学生さんで、千葉大の、やはり看護の先生とともにいらっしゃった。

 

お世話になっている訪問看護ステーションさんについてこられて、そのお仕事と、利用者である息子と我が家の様子などをご覧になる目的でいらしたのだが・・アメリカからくると、事前に聞いてはいたが、なんと、なんとのシンシナティ大学だったのだ。

 

「そうか、アメリカは3つくらいしか、街、ないんだっけか。ニューヨークとシンシナティと・・むにゃ」と、のちに興奮ぎみの私からこの話を聞いた長男が、言う。

 

ひととおり、次男のナオトくんが受けているケアやサービス、私たちの生活、なつかしのシンシナティの話などをした後、彼のコミュニケーション方法へと話が及んだ。

 

イムリーなことに、ちょうど今日は学校の面談で、ナオトくんの「視線入力&スイッチ」で朝の会を進行をします~~なんて話を聞いてきたばかりだったので、ほくほくと、そんなお話をした。

 

すると、とても興味をもってくださり、ついには、家の視線入力装置一式とパソコンで、EyeMoT(アイモット)の実演と体験までしていただく流れになった。

 

さらに、最近話題のこの冊子も出し・・。さりげにその中のナオトくんのページをみせ・・・。

様々な障害児者が喜びの気持ちと共に自力で描いた作品たちは実にピュアで元気をくれる

ナオトくんの傍には必ず犬のラキがいる

 

お二人のレディーズが、とっても目をキラキラとさせて「すごい!」と言ってくださり、ご満悦なナオトくん母。

 

すると、この女性たちはこうも言ってくださった。「この本がほしい。US(アメリカ)にも必要としている人たち、こうしたことが助けになる人たちが、たくさんいる。」と。

 

こうして、近頃は我が身の生活ばかりを優先させていた私は、自分のほおをピシャリとたたき(心の中で)、「英語版が、できたら送りますね!」と、にっこりと、毅然と、言い放った次第である。

 

ちなみに、障害のある人、子どもたちが、こうして新しい世界や生き方を開いていくことが、すばらしいと、すごいと、もちろんそうだけれど、実は、それ以上に彼女たちをおおいに驚かせたことがある。

 

それは、フリー(無料)のパソコンソフトとして、EyeMoTが提供されている、ということだ。たしかに。これは、本当に、本当に、たいしたことなのだ。開発者の島根大学、伊藤史人先生と開発に携わってくださっている学生さんたちは、やっぱり・・そのハートがただ者じゃない。

 

無料だから、フリーだから、気楽にトライできる。人にすすめやすい。

 

この度の冊子、まだ第二版の全国配布にご寄付が足りていないらしい。

 

ご協力をいただける方は、どうか、寄付にご協力をいただきたい。ここには、どこをどうひっくり返してみても、邪念がない。ただただ、日本中の、いやもしかしたら世界中の、「なにもできない」と思い込まされ不自由な体に乗り込んでいる多くの勇者たちとその家族に、希望と生きる価値と愛を、ひたすら、与えるのみだ。

 

 

[ご寄付についての詳細はこちらのページをご覧ください↓]

https://www.poran.net/ito/home/eyemot_sensory_art_book

 

 

あぁ、なんでかしらシンシナティ

なにかしらのシンクロニシティ

 

 

我が身の生活、こちらもお仲間募集中 (イベントページをみてね)♫

アウルボイス OWL VOICE | アニマルヒーリング | Japan, 千葉県

 

 

ポエムをあなたに

私は歩いた

あなたと一緒に

 

私は歩いた

弾むように小走りに

 

私はあなたと歩いた

ときに喉に嗚咽をおしこめて

 

 

私はあなたと歩いた

空の星を数えながら

 

私は歩いた

地面にころがるミミズを拾いながら

 

私はあなたと歩いた

胸をそっと片手で押さえながら

 

私は歩いた

いつもあなたが横にいた

 

私は歩いた

私は歩いた

あなたは歩いた

あなたは歩いた

 

私たちは 歩いた

とにかく どんなときも

 

私たちは 歩いた 

 

 

ありがとう

 

愛と感謝よ 永遠に

 

とんでけ

 

 

 

 

 

So this is

So..this is what Im doing

 

今月のはじめ、スポンサードウォーク(チャリティーウォーク)を、志を共にする仲間達と、大切な動物や生き物達のため、してまいりました。イギリスの自然豊かなサセックス州で、ときどき、かなり急な道を歩くこと数時間!


汗びっしょりになりましたが、景色や空気は最高でした。

 

このためにみんなで集めた寄付金は1900ポンド超(日本円で約35万円)、地元の動物保護施設(PAWS Animal Santuary)と、コウモリ病院(SUSSEX BAT HOSPITAL)に無事に支援を送ることができました。

 

あたたかいご寄付をくださった方、また、お話を聞いてくださった皆様に、心からの感謝とご報告をさせていただきます。

 

この素晴らしい仲間たちと一緒に、私は今年一年、アニマルヒーリングの学びを共にしています。この学校の学長さんが書いた本を読み、私の心に「これだ!」と、明るい火がポッ、と灯ったのは、いつだったでしょうか、昨年?おととし?

 

言葉のカベ、子ども達の変化と新しいチャレンジ、いろんな事がありながら、私はあっちこっちですっ転びながら、たくさんの人の力を借りながら・・・気づけばもう10月後半でした。でもこの間、私の心の中には、確かな火が灯り続けていて、それは、大きくなるばかり。

 

 

国をこえても、心を同じくするステキな仲間たちと出会い、またひとつ、世界が広がりました。そして、イギリス、という動物福祉や補完医療において日本の一歩先を行く国から学ぶことは、本当に、多いのです。肌身でも、それらをひしひしと感じます。

 

 

私の胸には、決して消えないおおきな夢があるのですが、そんなゴールビジョンを抱えながら、明日や来週の自分がどんな生活をしているのかはわからない、みたいな、なんとも直感頼りの生活をしている、私です(笑)。

その直感に、”これ(この道)で大丈夫だよ”とささやかれながらここまできましたが、あぁ、それにしても、本当に自分らしい道を今、歩いている気がします。動物たちと関わるのが、こんなに大好きなんだって。動物達を通じて人と関わるのが、こんなに愛しいことなんだと。

わかっていたけれども、もっともっと、実感しています。

そしてこれがいつか、自分の大きな夢へとつながっていくのなら、またなんて嬉しいのでしょう。

 

 

とにかく、目の前のことを一歩ずつ。

 

ヒーリングモニターにご協力くださった皆様には、この場をかりて、心からお礼を申し上げます。

有難うございました。

 

さぁ、ディプロマ取得まで、あと一歩。来年1月まで、まだまだ課題、宿題がありますが・・・がんばります!

 

 

 

 

四つ葉のクローバー

ひとは、自分のみたい世界を、みる。

 

わたしがみるのは、いつだって四つ葉のクローバーをみつける世界。

 

って、そう、決めるんだ。

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この四つ葉さんは、すこしいびつな形で、なんとも私らしいなぁ・・って、ニヤリ笑う。

 

自分でつくる1秒

すすむしかない。

 

すすむっっきゃない。

 

一回の人生だし。魂の旅はつづけども。

 

この体で、いつか必ずやってくる人生のおわりまで。

 

刻々と「時」は過ぎていくのだし。

 

できるだけ穏やかに和やかに。

 

私らしい、愛に満ちて。

 

止まることなく。

 

1秒1秒。

 

すすも。

 

 

あと何分の一だって、たいしてやることは変わらない

近所のおじいちゃんが自転車でふわりふわりと通り過ぎるのを見ながら、私の人生って、あとどれくらいなのかな、とふと思った。

 

今は、3分の1位過ぎたあたりかな。いや普通なら2分の1って言うのかな。

 

あと残り3分の2だろうが、2分の1だろうが、10分の1だろうが。

 

これまでの来し方を一瞬思ったら、それはまたたきをゆっくりめにパチンとする位の、本当にあっという間の出来事だったような気がして、きっとこの後も、そんなふうにあっという間なんだろうな、なんて思う。

 

 

そう思ったら、やっぱり、あーよかった、よくやった私。楽しかったなぁーーーーって。終了した時に満面の笑みで自分を褒めてあげられるような。


そんな一瞬一瞬を、刻んでいきたいもんだなぁ。

 

 

 

自分という車を走らせる

車を運転するときは、「いま、この瞬間」に全集中している。

 

きちんと行く先をみつめ、信号や歩行者や他の車に注意を払い、それでも、必要以上に周りに目をやることはない。なぜなら、自分の車を安全に運転しなくてはいけないから。

 

後続車を過剰に気にしたり、しない。通り過ぎた道もしかり。前をみなくちゃ、あぶないもの。

 

同乗者がいればなおさら神経を払い、ていねいに、揺れすぎないよう、しっかりハンドルを握り、荒くない運転ができているかな、と確認する。

 

運転をしている「いま」に、私の全存在でもって注意と意識をおいている。

 

だのになぜ。

ひとたび車から降りて自分の人生ロードを走るときには、同じようにいかないんだろう。

 

気づいたら、よその車と比べてみたり、通り過ぎた道を何度も何度も、振り返ったりしている。そんなことしていたら、リアルな道路では、事故ってしまうというのに。

 

日々の営み、生きること、も、やっぱり車の運転中のように、やってみることなんだと、思う。自分という車を、いかに丁寧に、いかに周りに踊らされることなく、いかに振り返りすぎることなく、進行方向に向けて走らせるか、なんだと思う。